今いる場所で自分なりに生きて行くこと。
義母の入所している介護施設の”秋祭り&敬老会”に行ってきました。
家族も参加できたので、施設でどのような方々と、どのように暮らしているのかを知る、
とてもよい機会になりました。
普段、会いに行ったときに見かける方々だけではなく
他のフロアの方や、施設職員の皆さま。
秋祭りは、各フロアでお祭りのゲームがあったり
屋台で買って、家族で一緒に食べた風に工夫がされていました。
他の家族の皆さまの、様子を感じられるのも、とてもよい体験でした。
これまで、自分たちを育ててくれた親に対する関わり。
それぞれの【家族】というものを、垣間見る機会にもなりました。
敬老会は、参加できる入所者の方が集まって開かれました。
各フロアから、自分で歩いて、歩行器で、車椅子で集まってこられます。
その行進のような有り様は、
そのお一人おひとりの人生を、思い描くような時間でした。
ちょっとした言葉や、しぐさ、
それらは、これまでの人生で培って来られたものなのですから。
その入所者の皆さまを支えておられる、施設職員の皆さまの
小さな、細やかな、大きな、目に見える、見えない、配慮
一人ひとりを、とても大切に尊重してくださっているのを感じました。
年齢を重ね、だんだん自分の意志とは関係なく体が動きにくくなっていきます。
それは、どのような変化になるのか、自分では選ぶことができません。
体が動きにくくなっても、身についたことは自然と顕れてきますし
「わたし」も内に変わらず在ります。
日本の社会が急激に変化した時代を生きてきた、親世代。
その世代の方々と、それをサポートして下さっている皆様の様子を感じて
胸が暖かなもので満たされた日になりました。
敬老の日のお祝いは、何歳から、、、というのは無いようです。
施設では、「米寿」「卒寿」の表彰が有りました。
きょうの敬老の日まで、3連休の方も多かったと思います。
皆さま、どのような日々をお過ごしでしたでしょうか。
自分の老後を考える日にしても、よいのかもしれません。
「統合性 VS 絶望〈 エリクソン発達理論・老年期 〉(2011-6-16)」
https://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/2820542/



