花の後。
「華佗(かだ)」
今年春頃、ワークショップで、家族との過去に意識を向けていたとき
その名前が、唐突にやってきました。
そんな時は前後するように、テレビを見ていても華佗の名を見るのです。
華佗のことは、中医学を学んでいたときに幾度か聞いたことがあり、その都度気になる存在として心に積もっていく存在でした。
華佗は、中国後漢末期(2世紀ごろ)を生きた伝説的な医学者。高い医術を持っていたと伝わります。
私の中でその華佗がいつも心に残る理由は、その類い希な医術のことだけではありませんでした。その彼の著わした医学書が後生に残らなかったという事実でした。
宮仕えを拒み、魏王曹操の逆鱗に触れて投獄されます。死に臨み獄史に託そうとした書物は、燃やされ残りませんでした。その書物が後世に残っていれば、救われた命も沢山有ったのではないか。
なにより、最期の時に、華佗の心に去来したことは何だっただろう、といつも思ってきました。
自分自身が年齢を重ね、エリクソン発達段階でいうところの第七~八期になってきました。会社勤めしていれば定年退職を迎える頃で、このまま穏やかに日常を過ごしていくのも良いと、思い始めた矢先でした。
しかしこれまで、貴重な学びの機会に恵まれ、伝えられてきた事々を自分事だけに留めておいて良いのか?誰の役にも立てずに?ある意味それは「怠慢です。」と励ます声もありました。
そしてなにより、最期の時にそんな思いがやって来ても、そのときはもう間に合わないのだと言う思いが胸に迫ってきたのです。
『生殖性 VS 停滞性〈 エリクソン発達理論・成人期 〉(2011-06-15)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/20541
『統合性 VS 絶望〈 エリクソン発達理論・老年期 〉2011-06-16 』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/20542/
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2018年10月末以来、約6年ぶりに再掲載のはこびとなりました。
皆さまのお役に立てますようにと、希っております。
よろしくおねがいいたします。
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