時間の構造化(ストローク)4 雑談
局所的な大雨に見舞われたりして、心配なことも多いこの頃です。
程よいということは、大切です。
乾いた空間に広く雨が降るさまを見ていると、自然の力を改めて感じます。
雨をたっぷり得た大地と木々が、少し朝夕に涼を呼んでくれる気もします。
今日から立秋前の土用になりました。
そして、72候では小暑末候(33候)の時候です。
「鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)」となりました。ひなが巣立ちの練習をするとき。
人が巣立って一人前になる必須のものは何なのでしょうか。
人と人とのコミュニケーションが難しくなってきました。
見えない者同士が、見えないもので瞬時に繋がる世界。
1980年代、日本にはまだコミュニケーション論というものは存在しませんでした。
見知ったもののコミュニティの中で、察する文化の中では必要が無かったからです。
でも、そのコミュニティが成り立ちにくくなってきたことで
言葉で伝えあうということが必要になってきたのです。
私自身が、昨今感じることは
計算能力だけでなく、読み書きについての衰えです。
何とか保っている力は、教育を受けていた時期に学校や読書で身に付けた
言葉が基本になっています。
今、新しい言葉はなかなか身に付きません。
正しい言葉使いというものは、時代の揺れがありますが
言語を用いるコミュニケーションのためには、ある程度の語彙力が必要です。
年配者が、若年者のありようを嘆くのは
大昔からあるらしいので、それは仕方ないこととしても
若いうちから、伝え合うための言葉を知っておくことは、必要だと感じます。
便利さが奪っていったものの代償は大きいようです。
見て、聞いて、体感する、体験の中から学ぶことは
即戦力に近い力になります。
疑似体験の中で、五感を通じてそれらを身に付けられればと、希います。
痛ましい、今回の呉市の16歳の少年少女たちの事件。
最初に自首した少女は、現場に戻って遺体を見てから
強い後悔の念に駆られたと、報道されています。
彼女は、見たら解ったのですね。
現実と、非現実の境界が曖昧になって
混沌としていて危険です。
「ヤマアラシのジレンマ (2011-05-22)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/19961/
「絆(2011-12-30)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/24509/
「土用のうなぎ〜土用の時期の養生〜(2012-07-19)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/29024/
『梅雨明け〜夏・長夏の過ごし方2〜(2010-07-18)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/11457/
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