「きく」ということ
そろそろ花の頃は過ぎようとしていますが
山吹に、次のような句があります。
「七重八重 花は咲けども 山吹の
みのひとつだに なきぞかなしき」
『後拾遺集(兼明親王)』
この句にまつわる太田道灌の伝説。
急に降られた雨に、蓑を借してほしいと思っているのに
山吹の花を差し出すとは!と憤慨したものの、後にその意味を知り恥じて、
この日を境にして歌道に精進するようになったという。
私たちのコミュニケーションの方法には
言語によるものと、非言語によるものがあります。
言語では、『情報』が伝わり
非言語では、『意図』伝わります。
上の伝説では、言語で伝えたことに非言語で返事が返ってきました。
その意図を読み取った、家臣によりその答えは理解されました。
この場合は、知識が役に立ちました。
日常の中にも、このようなことはたくさんあります。
非言語で発せられることを理解することは、時として困難です。
知識だけで理解できることばかりではありません。
それを読みとる『感性』が必要になります。
『感性』・・個人差が大きいかもしれません。
しかし、磨くことは出来ます。
何か、誰かを完全に理解するということは困難です。
けれども、【理解しようとすることは】出来ます。
そのためには、そのこと・ものに対して【関心】をもつことです。
【理解しようと、関心をもつこと】で、『感性』は磨かれます。
コミュニケーションのうち、言語で伝わるのは7%ともいわれます。
災害の報道を見てきて解るように
非言語からたくさんのことが伝わってきます。
現場に居ないわたしたちは、そのことをどこまで理解できるか解らない。
けれども、理解したいと関心を持ち続け、
情報を理解するための知識を深めることや
こころを寄せることは出来ます。
『それぞれの立場を感じてみる (2010-06-12)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10319
『フィルターの色(2010-05-25)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/9816
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