厄年
きょうは一日メール対応に追われていた日でした。
考えてみると、通信手段の変化というのは大きいです。
再放送や、懐かしいドラマを見ていると
服装や眉の太さだけではなく、電話機の変化に時代を感じます。
電話のない時代から、
何軒かに1本の電話線を共有していた時代を知っています。
当時の長電話を諫める言葉は
「○○さんの家が、電話を使えないから長電話したらあかん」
でした。
共同線の相手の家が使っているときに
受話器をあげると、そのまま普通に話が聞こえました。
その後、一件に一回線になると
「電話代が高いから、早く切りなさい」
なかには
「かかってきた電話はいいけど、かけた電話は早く切りなさい」
というのもありました。
玄関やリビングで周りを気にしながら話していたころです。
その後、コードレス電話が出来ると場所に縛られなくなりました。
やがて親子電話が出来て、リビングと子ども部屋のようになってくると
公然と部屋にこもって長電話が出来るようになりました。
それでもまだ、電話をしていることは
他の家族も知ることが出来ました。
携帯電話の出現、普及によって
電話は管理しにくくなりました。
本人だけに直接連絡が取れ、他の者には分かりません。
更にメールが広がると
こちらの都合のいい時にとりあえず送信して
受信者も都合のよいときに読むことも出来ます。
しかし電話で話せば、数分で済むことが数十分必要になったりします。
会えば瞬時に理解できることも、電話では長時間必要にあることもあります。
先日の奄美大島の大雨の時
「一番困るのは、(携帯)電話が通じないことだ」
という声が多かったと思います。
電話やメールがない時代
今となってはどのように連絡をとっていたのだろうかと思います。
けれどもその頃の方が
もっとゆったりのんびり過ごせていたようにも思うのですが
どうでしょうか。