レッスンは自我を捨てていくこと
きつく叱咤される時―修飾語を抜いてみる
レッスンの中で、本当にきつく叱咤される時・・
先生の怒りがどんどんエキサイトして
「わ~!!」
「えええっ!?
そこまで言われちゃう?」
自分自身がとてもしょうもなく情けない思いになる・・
どなたにも経験があると思います。
きつく叱咤されて気分のいい人はいませんが
これで、ただ落ち込んでしまうのは、とてももったいないこと。
「注意してもらう」のは有難いことですね。
けれどもこれに
「なんで、それがわからないの!?」
「何度言われたらわかるの?」
「いい加減にして!」
と、修飾語がつくと、修飾語に傷ついて
本当に先生が伝えたい大事なところが頭に入らないからです。
気持ちのまま、
口から言葉が出る先生もおられれば
それによって、その人の心のバネを引き出す為に
あえておっしゃる先生もいらっしゃるし
先生と生徒さんの関係性もあるでしょう。
でも単に傷つけたくて叱咤する先生はいません。
注意してよくなる人だから言われます。
注意しても変わらない人には一通りのことしか言いません。
変わらないだろうなと思う人に、それだけのエネルギーは使いません。
叱咤する前、した後
先生は必ず重要な本当に伝えたいことを言われています。
修飾語に傷つき、頭を囚われて
大事なことを聞き逃さないように。
自分の中で、先生が本当に伝えたいことは何か?
決して「いい加減にして!」ではないでしょう。
何度も言われた同じことの、どこで自分はつまづいているか
よくよく考えると、形でしかとらえていなかったりもします。
ものの見方、感じ方が素直に入って行かない状態に自分がなっていたり
することもあります。
言われる先生のことでなく、自分自身に目を向け直すと
言われているのは踊りや体のことでなく
自分の中で受け入れない壁があったりすることに気づくこともあります。
自分に向けられたことのいらない部分と、本当に大事なところを整理して
自分に活かさなければ
先生の叱咤もただのエネルギーの無駄遣いになります。
大人になれば、人から注意されたり、叱咤されたりすることはとても少なく
それをしてもらえることはすごく有難いことです。
怒りの発散だけにそんなことはしません。
自分が良くなるために、それだけのエネルギーを使って下さる人があるのです。
そのエネルギーの本当に大事なところを自分で分けられる冷静さを持つことは
少し心の角度を変えるだけでもできること。
「壁なんか作っているつもりはないのに」
では、そういうふうに感じられんだなと、
認めてみることから。
それだけで少し変わります。
自分自身のなかに答えがあります。