不器用はハンデではない
自分の枠をはずす
「これはこうでなくてはならない」
「これはこいういもの」
「こうであるべき」
自分自身でも気づかないうちに
人は枠や壁を自分の周りに作りがちです。
「囲い」ができると無防備でなく安心できるからです。
「囲い」は外からの人の目や攻撃を受けにくい代わりに
こちたからも外が見えにくく、積極的な行動がしにくくなります。
何かに属することは安心です。
自分が何もしなくてもある一定のところまでは守られ
外の大変そうなことと無縁でいられます。
「囲い」がなければ、常に危機感を持ち
どんなことも自分で対応していく心構えがいるけれども
管理されることなく何をするにも自由。
一長一短あるのです。
自分では「囲い」の中にいるつもりではないのに
自分で知らず知らず目に見えない「囲い」を作っていることもあります。
自分ではそのつもりではなかったけれど
気付けば「囲い」の中にいた、ということもあるでしょう。
どれも人が成長する段階だと思えば、当たり前のことなのかもしれません。
「囲い」の中にいる、いないは別にして
「自分を知る」ことを始めて
自分が知らずに作っていた枠に気づいたり
知らずに入っていた「囲い」に気づきます。
「囲い」の中にいても、外にいても
「自分を知る」ことがなければ、その「囲い」なり「枠」が
自分にとって窮屈なものなのか
安心して更に成長できるものなのか
考えるもののようです。
飛び出て外すのか
中にいながらはずすのかは人それぞれの選択次第。
しかし外してみないとわからないこともあります。
身を守る鎧は薄い方が動きやすく
外の情報もたくさん入ってきます。
人は1人で生まれてきます。
枠を外してみて、やっぱりスース―と心細ければ
またつけてみてもいいのです。
枠を外して、感じてみたものと
枠越しに感じたものは違うものです。
厚手の枠に守られて、その中にいるだけであれば
つかめないものも、一生感じることができないこともあります。
だから枠を外して、生身の自分になってみるのは大事なことなのです。
枠を外してみれば
またつけてみるのも
自分に合った枠をつけるのも
何もつけないで、どっぷり感じてみるのも自由です。
そうしてみれば、枠から出なかった自分とは違うことを感じています。
特に「知らずに自分で作った枠」
をはずしてみると
とんでもない爽快感があります。