激励と叱咤の間
消えてなくならない土台を丁寧に積み上げ続ける
子供や若い人ばかりを教えていた私が
初めて、もう子育ても済んで・・と言うような
長いこと運動からは完全に遠ざかっている大人の方々の指導を始めた時、
「これはどうしたらいいんだろう」と
真剣に悩んだ。
殆どの方が体に痛みを持っていて
腕は垂直まで上がらない
腰が痛くて、立ち上がるにもよっこいしょ!
体中がカチコチになっている人たちは
子供や若い人たちがやっているほんの初歩のところでも難しい。
同じような進め方では怪我をさせてしまうのがオチ。
本当に手さぐりで
「痛い」ところが痛くないように出来るやり方を
ひとつずつ考えながら進めて行って
少しずつできることが増えて行った。
痛いところを悪化させない
怪我をさせない
無理を押して我慢する代わりに
根気よく自分の体の中を意識し続ける時間を伸ばしていく集中力を持ってもらうことを
繰り返し、私自身が諦めないようにやってきた。
もちろん道半ばである。
いったん難しいことを出来ても出来なくてもやらせて
形だけでも覚えてもらって、後は自分の努力に任せるやり方もあるだろうが
体育会系でさんざん体を使ってきた自分が、それはやりたくなかった。
見た目の形そのものを運動に起こすことではなく
そこに至るまで、自分が得た感覚の何をどんなふうに使うのか
ひとつひとつをしつこくいろんなバージョンでやっていく。
自分でも呆れるくらい、恐ろしい時間をかけている。
それが少し報われだした。
初めは腰痛も手の上がらないのも解消してよかったね
次に立っていること、所作が見違えるように美しくなって嬉しいね
だったのが
少しずつ動きにつながってきた。
体が通り、芯のある動きになってきた。
こういう人が出てくると
後から入って来られた方の進歩具合が早くなる。
一緒に
「どうしたら痛くないようにできるか」
痛いところがなくなれば
「今の可動範囲をどのように広げるか」
「それを動きにつなげるには?」
と考えながらやってきた人たちが、自分の体を持って示してくれる。
自分がどんなふうにして、できないことができるようになったか
その時の自分より、うんとよいのだから
必ずできると説得力のある言葉で
日の浅い人を励ましてくれる。
私から受け取ったことを
自分なりの試行錯誤で、いろいろ工夫し
自分の体につなげてきたことを
惜しげもなく伝えてくれる。
「こんなことができるようになって嬉しい」
と、喜んで、そこで満足される方に
歳は若くなりません。
自分が出来る今で満足していると後退してるのと同じ。
前にもまして努力されるようになった。
土台は一旦積み上げたから、盤石の強さを保ってくれるものではない。
常に補修し、新しい素材を入れ替えたり
古くから使い続けたものも手入れしていかなければ
本来使える年数より傷みが早くなる。
土台を積み上げ続ける10年と
満足して留まる10年、何もしない10年
どんなやり方も自分で選択できる。
選択した通りの10年後がやってくる。