心の目に映るもの、映らないもの
体をつなげることを表現につなげる2
体と心はつながっているが
心が思うことをそのまま表現しようとすると
すぐに思い通りにはいかない。
表現できる体を作っていくことが必要になるが
例えば「脚を上げる」とか
「回る」とか「たくさん反る」ことがうまくできるから
表現力が増すか?と言ったらそうではないだろう。
なぜ脚を上げるのか、なぜ回るのか、それに至る動機がいる。
動機があって、そこでそうしたいことが見る人に共感されて
自然に受け入れられるから
人は感動したり、心を動かされたりする。
心と体が一致して、ぎくしゃくしないで自然な状態で繰り広げられていくから
表現する人そのものを感じて、それを心地よく感じたり
好きではないけれども惹きつけられて見入ったりする。
これは上手下手ではなく
自分の体から発するラインが開けているかどうかと言うことだろう。
閉じていれば伝わっては行かない。
昨年、大阪のクリエィティブダンスシアターのパフォーマンスに
私のボディコントロールのWSに来て下さる方も参加して下さったが
体をつなげることを表現につなげる
その時、一緒に組んで小さな即興で踊ったことから
今は新しいクラスを作って、レッスンして頂いている。
まだ踊りを作った経験はとても少ないけれども
パフォーマンスでされた題材は面白いと思ったので
時間をかけて、いつか作品につながるようにできたら・・と思っている。
ボディコントロールで培っていることを
そのままトレーニングにするのでなく、表現につなげていくためのことをしている。
したいことありきで、作ったクラスなので、まだ人数も少ない。
本当にやってみたいと思う方が来られればいいので
特に大々的な募集もしていない。
ボディコントロールをする時もあるし、バーレッスンをする時も
センターレッスンをする時もある。
その時によって、してみることは違う。
その人がやってみたいことを一緒に話して考えてみて
どんなやり方があるか、組み立てを考えてみたり
例えば、見えない壁に突き当たって、そこより向こうに行けないと言う状態があるとしたら
大抵はここで壁に当たるから、スピードを予め緩めたり
当たったらこんなふうになるよね?という予測のわざとらしい形になってしまうが
そうなったら、どこがどんなふうに反応するか、
どこをどう意識すれば、気持ちの方がどう向かうのか
動機を持って動くことをしてもらうことを
昨日はやってみたが
とても感じてもらえることがあったらしい。
「作品って、こんな風に作っていくんですね」
「体を動きにつなげると言うのは、こういうことなんですね」
気持だけぶつけても、人には伝わらない。
伝えるための体と動機を作っていく。
人それぞれ、動機もやってみたいことも違うし
表現も様々でいいが、それにつながる感性は磨かなければ
育って行かない。
やってみたい気持ちの中から
いらないものを落として、必要なものを残し
伝えることにしていく作業。
これには
形式も決まりもないが、心が掻き立てられる。