決して自分からあきらめないこと
その時々の心と体に付き合っていく
気持も心も毎日違う。
心身共に大変な時期にある時には
自分では、いつも通りにやっているつもりでも
見る人には、今日は何か違う、とわかってしまう。
以前、肉親が亡くなったとき
身内だけで見送り、誰にも知らせず
直後に自分のレッスンに出たら
誰にも何も言われなかったが
若い時から一緒にレッスンを続けている先輩に
「何かあったの?」と聞かれた。
ちょっとした体の精彩、目の光。
やはり違うのだろう。
長年見慣れている人にしかわからないものもある。
自分にもわからないところで、心と体は結びつき
作用しあう。
後々思えば、心の整理が出来ていない時は
体もどこか引きずられているのかもしれない。
しかし、それも当たり前、珍しいことではない。
それでも自分がそうしたいと思えば、やればいい。
その時のそれなりの心と体につきあっていいではないか。
ぎごちなくても、初めのうち、体はその時の心に多少引きずられても
少しずつ、引きずられない体に付き合って行ける経験になると
私は思っている。
こんな大変な時だけど、やってみようとトライしてみて
あらら、やっぱり思うようにできなかったわ、と言うのは当たり前なのだ。
それと付き合ってみたことが大きなことと言える。
大きな決心をして、取り組んでみたとて
すぐにはうまくいかない。
いったん状態が落ちた
人の心と体は高速のペースで変化はしない。
自然な流れでしか動かないけれども
前向きにやってみようとした時には、段階を経て
その切り替え速度が速くなる。
体と同じように心も鍛錬される。
その人それぞれで変化の仕方は違うが
「自分がこうしようと思ってみること」は、その人の存在感を増すことだ。
することが明確になっていく。
殆どの人にわからなくても
見える人には見え、何より自分自身がわかることが
存在する。
自分の心身の状態が良い時も悪い時も
きちんと付き合う。
やらなくていい時もあるが、絶対にやるべき時も少なくない。
どんな時も、誰かが何とかしてくれはしない。
自分の心と体は自分だけのものだ。