「ほんのちょっと」から始めましょう
自分にしかないもの
連休初日に、遠方から来て下さった方と
クラスレッスンの後、パーソナルもさせてもらって
レッスンしながら、いろんなお話が出来た。
とても喜んで下さって、ご自分にはできないと思われていたことを
次々にスポンジが水を含んでいくように吸収して、実感して下さった。
これは私が一方的に渡したのではなく
2人の関係が、1対1なのではなくて
別々の2人が、ひとつにつながるように、流れを共有し合ったと言うことだろうと思う。
こちらの伝えたいことが、無理なく受け止められ、
その方の体が弾んでいた。
連絡を頂いて、何度かやりとりし、お顔を合わせた瞬間から、もう既にずっとお会いしていたように
私を自然に受け入れて下さっている。
人と人がつながっていくことは、顔を合わせる以前から始まっている。
私がお会いしたことのない方で、例えば動画やコラムをご覧いただいて
何かご自分のために役立てようとしておられる方も、ご自分を開いて下さった時点で
つながりができているのだと思う。
同じものを伝えても、ひとりひとりパーソナリティは違い
受け止め方も違い、受け取られたことを自分の中で濾過し
自分の身にされた時には、それはその人にしかないものになる。
体は自分自身のものと誰もが思っているが
この体は産まれた時から貸し与えられた専用の乗り物と
私は思っている。
自分の乗り物なら特性を理解して、手入れをしてできる限り使いやすいように
愛情を持って大事に使うだろう。
ましてや、あの世には持って行けない借り物であると思えば
大事に使わざるを得ない。
それをお話したら
『このオンボロの体め!と思ってました』
と言われる。
体は自分に隷属するものではない。
ただし体自身で意思を持って動けるものでもない。
体が起こすことは全て、例え無意識でも自分自身の使い方による。
持ち主の在り様に従っているだけなのだ。
愛情を持って手入れし、どうすれば動きやすくなるかを考えながら付き合えば
一体になってくれる。
自分の感覚を人に伝えることも、人から受け取ることも
自分自身と自分の体との折り合いがついていれば可能になってくる。
100人いれば100の体とその成り立ちがあり
その人自身が使いこなす体は、その人にしかないものになる。
一生付き合う体は、唯一無二のパートナーである。
今週も新幹線で来て下さるが
その方がご自分のパートナーと折り合いをつけながら来られるか
楽しみにしている。