できる感覚を知っていればまた出会える
レッスンは自我を捨てていくこと
レッスンは、人によって目的が違うと思うが
私自身は長年やっているうちに、
レッスンにおける意識の持ち方が徐々に変化してきたと思っている。
若い時は人との競争だったかもしれない、と思う。
先生と自分、一緒に受ける人たちと自分
自分と較べて闘志を燃やしたり
人と比べてうまく行かないことを情けなく思ったり
楽しいことより「必死」の様相が強かったように思う。
ある程度の年月が経って
自分にできないことを自分でお墨付きを出し
「これはできないんだから」と
諦めつつレッスンしていた時もある。
今はできないことを自分なりにできる過程の進歩途上だと思えている。
人に合わせることも大事だけれど
まず自分ありき、と自分自身の内を感じていなければ
振り回されるレッスンになる。
そこそこの経験があって、全く白くはないが
できるだけ白いフラットな自分でいたい。
見た目そのままをやってみるのもいいが
自分の体ならどう使うのか、イメージしながら
自分自身でできることを重ねていく。
良く出来る人を見て、どこがどう違っているのか
観察する。
自分自身の中から見られるようにレッスンできている時には
100%でなくても、先生の言われる範囲の中で出来ていることが自分でもわかる。
その時感じたイメージを持ちかえり
自分の中で定着させていく。
白くない部分が時折顔を出して
「え!?そのようにしているつもりなのに」と思う時がある。
自分ではそうできているつもりでも、人にはそう見えていないことを
認識しなければならない。
自分の中で「えっ!?」と思う時
それは未消化なのだ。
ならば言われた通りにやってみて
自分が思いこんでいたことを修正していかなければならない。
長くやっていればいるほど、自分の中の思い込みは大きい。
それは「自我」と言うらしい。
「自我」を全ていっぺんに捨てられなくても
捨てる努力をして行かなければ、思い込んだままである。
まだ、自分の従来慣れ親しんだ
「これ」
にガッチリつかまれているところが多分にある。
経験を積みながらもいつでも白くなれる。
レッスンだけでなく、どんな場合にもそうなれる自分に
いつかはなりたいと願い
自分の足元を踏んでいる。