できる感覚を知っていればまた出会える
小さな決意
ある競技をしている小学生は
普段は月に一度くらいしか来られないが
この春休みは休まず通ってきた。
お母さんもレッスンに参加されて
少しでもよくなるサポートをしようと一生懸命なので
ほんの少しの間に、締まって来られた。
始めてから年数が浅いので、
本当に小さなころからやっている子供たちに比べて
柔軟さが違うと言うことだが、決して遅いとは思わないし
スポンジのように吸収するいい素材であると思う。
今日も遠方から参加された方々や、レギュラーの人たちに交じって
レッスンしていた。
ええやん。
ただただ柔らかいのではなく、体を傷めない使い方をしっかり覚えて
通った体で、他の人とはひと味違うことができる人になりや。
そう言ったら顔つきが変わった。
教えたことを自分で黙々と繰り返し練習して
「ここでこうして伸ばしたら全然痛くない」
と、自分で調整しだした。
大人は誰一人、彼女と同じことは出来ない。
痛いのを我慢してしていたことが痛みなく出来るようになり
グラグラしながらしていたことも、安定してできるようになった。
自分で感じ取ることがあったのだろう。
何が子供の琴線に触れるかわからない。
毎回ひとつずつ発見をして
嬉しそうな顔をして帰ってくれたが
今日の顔は輝いていた。
大人でも子供でも
何かを得て決意した時の顔は同じなのだ。