姿勢と「丁寧に扱う」意識は一生もの
「触れる」安心感がもたらすもの
先日、いつも一緒にレッスンしている友人が
うちのレッスンに来てくれた。
「この間、こんなことをやったよ」
と話してくれることが面白そうだったので
教えてもらって、みんなでやってみた。
1人に寝てもらって、みんなでただ優しく体に触れるだけである。
揉むとかさするとか、マッサージするとかでなく
ただただ、時間をかけて優しく手で触れるだけ。
ここには儀式的なものもスピリチュアルなものもなし。
そして、寝たままの姿勢の1人を4人で、腰の位置まで持ち上げた。
「よっこらしょ」もなく、拍子抜けするほど軽く、
どこかで落ちたり、曲がったりするところもなく、すっと持ち上がった。
持ち上げられた人にも、怖さも辛さもなく、体が軽く気持ちよかったそうである。
子供のころ、お腹が痛かったり、どこかを打って痛かったりした時に
「よしよし、大丈夫!」と優しく撫でられると、楽になった気がしたものだが
人の手は安心する。
「手当」と言うが、それだけで自分の身を守ろうと固くなっている体がほどけて
楽になり、流れが通るのだろう。
優しく触れる、というだけで、自分の体を自然で楽な方向にに修正していくようだ。
レッスンで、固くなって伸びないところがある時
「ここから水道の水が流れるように」と、その部分に触れたり
その方向に優しく撫でると、大抵流れをつかまれる。
氷が解けるようにゆっくりとほどけて伸びていく。
触るだけ?撫でるだけ?
それでどうにもならないでしょ?
と、思う気持ちもわかるが、「触れる」ことは言葉でなくわかる。
痛いところ、伸びにくいところを自分で、ゆったり触って
伸びてほしい方向に撫でてみる。
それだけでも違う感覚が生まれる。
ワークショップなどでは最初にただ立ってもらい
その後、、足裏を土踏まずを長く伸ばすように
優しく自分でマッサージしてもらうが、
片足だけやってみて
もう一度立つと、足裏の感覚の違いを実感される。
ほんの30秒か1分ほどのことだが、確かに違う。
体に触れて、緊張を解く、安心する。
そこから体は未知の感覚を受け入れてくれる。