体の感覚は恋愛に似ている?
自分の内側を見通す
松の内も過ぎ、ほぼ日常の毎日が戻ってきた。
レッスンのお休み中も自分の体とつきあって来られた方たちは
その時その時の自分の体の状態をよくおわかりで
それぞれに自分で注意しながら、レッスンされている。
ちょっと前なら「ここが痛いんです」「ここがうまくいかないんです」
と、すぐに私に言われていたのが
自分で試行錯誤されてから、初めて聞かれる、と言う風に
変化されている。
こちらも見ていて気づいたことはアドバイスしたり
誘導したりするが、相手がご自分で考えて工夫されていると
こちらの少しのアドバイスであっという間に自分のものにしていかれたり
いったん自分で受け取って、自分の言葉に変えていかれる。
全部お任せ!と人に頼り切っている時は
頼る人が力を貸してくれている間はうまくことが運ぶが
それは自分が出来ているのではない。
助けがなければ、全く応用が利かない。
自分で自分の体を内側から考えて、こうなんだな、これはどうだろうと
見通したり、試してみたり、流れを知ったり、ということが
自然に身に付いていくのには時間がかかる。
初めからできないのは当たり前。
こうすればできるんだなと、誘導されて体感できても
そのまま自分だけでなかなかできるものではない。
目で見える外側のことを模倣するのが当然だった人、
形を真似することをしてきた人が、内側の意識を持て!と言われても
戸惑うし、頭は形を追うのに戻りたがる。
自分で作った枠から出るのは難しく、時間がかかる。
形のあるものはわかりやすいが、その形になるのに
内側でどんな力が働いているかには、咄嗟に目は行かない。
それを見通して、自分に伝える作業を少しずつ繰り返して
習慣が出来、今までにない感覚が芽生え、それが少しずつ洗練されていく。
目に見えるものにしか価値を見いだせなければ
意識が成長し、感覚が洗練されていくこともない。
どのように自分の体を観察し、習慣化していくかを
アドバイスし、一緒にやっていくことはできるけれども
常に意識を繰り返し、自分自身の目であり、感覚を育てて行くのは
その人そのものでしかない。
子供なり若い人が初めからそういう意識を持つに越したことはないが
人生経験深い大人が、いったん頭を切り替えられると
これほど強いものはない。
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