不器用はハンデではない
何のために踊るのか?
何故踊るんだろう。
踊るためにああか、こうかと体の使い方を考えたり
あらゆる予定をうまく回るように調節したり
うまくいかないことに悩んだり
時には何かと引き換えたりしながら
何故そうしてまで踊りたいのか?
大抵は「好きだから」と答え
私もそうだと思う。
踊ったり、体を作ったりするために
いろんなことをクリアするために大変な思いをしてもなお
踊ることで掻き立てられるものがあるからだと思う。
それは単純に「楽しい」「気持ちいい」と片付けられる感情ではない。
「踊る」と言うことを誰が始めたのかは知らない。
太古の昔、神に祈りを捧げる行為として踊られたのが始まりだとよく聞くが
それならばうなづける気がする。
「踊る」と言うのはその人を最もその人らしくするが
また、「無になる」と言うことでもある。
「踊る」ことは嘘がつけない。
何かの役割を演じたとしてもその人そのものが出てしまう。
その人の本質的な部分が現れてくる。
神様の目で、どれだけ飾ったところで見透かされてしまうのと同じで
「踊る」ことは神様の前に立つのと同じ状態だと個人的には考えている。
心と体をつなぐものがまじりあって
それがうまく通った時は、火のように燃え盛る輪の中に
しんと冷えた冷たい水があって同居しているような気がする。
心の中で何かが昇華していく。
それは静かに崇高で透明な達成感に似たようなものである。
どこか祈りに似ている。
それを味わうために踊っているのかも知れない。
「体のつながり」を感じる時も然りである。
↓「うまさきせつこのボディコントロール」の詳細はここから
うまさきせつこモダンバレエ研究所
せつこのゆったり自分コントロール