日本の美しいこころ 〜清の心〜
昨日は「 清 」について書きました。
清とは心に邪心がなくきれいなこと。
物事をありのままに見る素直な心のことです。
アニメ「もののけ姫」でたたり神となった大イノシシの呪いを受けた主人公アシタカは、
村の長老に「西の土地で何か不吉なことがおこっておる。その地におもむき、くもりなき眼(まなこ)で物事を見定めるならあるいはその呪いを断つ道がみつかるかもしれぬ」と言われ、西へと旅立ちます。
くもりなき眼で物事を見定める・・
たたら場の女頭領エボシとの会話にもこの言葉が出て来ます。
エボシ「そのつぶての秘密を調べてなんとする。」
アシタカ「くもりなき眼で見定め、決める。」
このくもりなき眼こそ「 清 」の心です。
我(が)による善悪のとらわれやエゴの損得勘定から離れた自由で素直な心だからこそ、
物事のありのままが、その本質や本当の意味がみえるのです。
「 清 」は「 誠 」に通じるだけでなく、
「 静 」にも通じます。
きれいな心とは静かな心でもあります。
今日は「 寂 」についてですが、
寂の心とは、寂(しず)かな心です。
欲望や我執が止んだ安らかで寂かな心です。
焦らない、怒らない、とらわれない心です。
「 清 」が極まると「 寂 」に至ります。
寂の心は、物事の本質を見て取るだけでなく、
その寂かさゆえに自分自身の心の声を聴くことが出来ます。
心の声はとてもとても小さいので、
心を澄まして聴かなければきこえません。
日本人は昔から、物事の本質を見極めること、内面の声を聴くことを大切にしてきました。
だからこそ「 寂かであること 」を尊んだのです。
また「 寂 」とは「 侘び寂び(わびさび) 」の心でもあります。
侘びとは、簡素で粗末なものや、小さくささやかなものの中に美をみつけ出す心であり、
寂びとは、時が経って古くなってしまったものや、打ち捨てられたものの中にこそ積極的に美を見る心のことです。
こういう感性は日本以外には見られません。
一見無価値に見えるものにこそ価値を見出していく心。
表面にとらわれず、その内面まで見通し、積極的に美を見出していこうとする心。
それは華美の対極にある美のとらえかたです。
Simple is beautiful
それは、小さきものへの愛情、何気ないものへの愛情、自然への愛情があるから見えてくるもの。
「 寂 」は求めない心、人や出来事をありのままに受け入れる心から生まれます。
「 求心やむ処即ち無事 」
日本人は古代から「 美しい 」ということを道徳にしてきたところがあります。
だから、キタナイことは悪いことでした。
正しいか間違っているかだけではなく、
美しいかどうかという視点からも物事をみていく、
そういう感性をもって暮らしていくところに日本人に合った生き方があるように思います。
「 和敬清寂 」
これは千利休が説いた茶道の最も大切な心構えです。
そして日本人が最も大切にしてきた心の美です。
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