【神戸市立墓園】2024年(令和6年)秋のお彼岸時期墓参のお知らせ
【日蓮宗の歴史】
16歳で出家した日蓮は、
多くの典籍と高僧を求めて
19歳の時に比叡山に上がります。
当時の天台宗では密教が盛んであり、
まだ法然による浄土宗が影響を色濃くさせる中、
日蓮は10年以上にわたる研鑽を積み、
法華経こそが経典の中の経典であるとの確信を得て、
比叡山を下ります。
日蓮はやがて、鎌倉の松葉谷に草庵を結び、
法華経の行者としての自覚を高めます。
当時の鎌倉は災害が頻発するなど騒然としており、
そうした惨状を前にした日蓮は、
日本のあるべき姿を提言した『立正安国論』を著しました。
そこでは浄土宗が厳しく批判されていたため、
浄土宗の僧侶や信徒に草庵を襲われ(松葉谷の法難)、
伊豆に流されます(伊豆流罪)。
三年を経て赦免された後も、
帰省した際に襲われ(小松原の法難)、
蒙古襲来の時にも領内鎮圧のため、
不穏分子としてあやうく斬首されかけ(龍口の法難)、
さらに再び僻地にながされます(佐渡流罪)。
こうした様々な困難に遭遇しながらも、
日蓮はますます法華経をよりどころとして布教に努め、
流罪が赦された後は身延山に身を寄せます。
やがて老境に入ると体調を崩し、
湯治のために温泉に向かう途中、
61年の波乱に富んだ生涯を閉じます。
日蓮聖人が病の床で本弟子として指定したのが、
日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持で、
彼らは六老僧と呼ばれています。
霊園ガイド(六月書房発行)より
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