宗教豆知識『仏教』⑭日蓮宗の歴史

能島孝志

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【日蓮宗の歴史】

16歳で出家した日蓮は、
多くの典籍と高僧を求めて
19歳の時に比叡山に上がります。

当時の天台宗では密教が盛んであり、
まだ法然による浄土宗が影響を色濃くさせる中、
日蓮は10年以上にわたる研鑽を積み、
法華経こそが経典の中の経典であるとの確信を得て、
比叡山を下ります。

日蓮はやがて、鎌倉の松葉谷に草庵を結び、
法華経の行者としての自覚を高めます。

当時の鎌倉は災害が頻発するなど騒然としており、
そうした惨状を前にした日蓮は、
日本のあるべき姿を提言した『立正安国論』を著しました。

そこでは浄土宗が厳しく批判されていたため、
浄土宗の僧侶や信徒に草庵を襲われ(松葉谷の法難)、
伊豆に流されます(伊豆流罪)。

三年を経て赦免された後も、
帰省した際に襲われ(小松原の法難)、
蒙古襲来の時にも領内鎮圧のため、
不穏分子としてあやうく斬首されかけ(龍口の法難)、
さらに再び僻地にながされます(佐渡流罪)。

こうした様々な困難に遭遇しながらも、
日蓮はますます法華経をよりどころとして布教に努め、
流罪が赦された後は身延山に身を寄せます。

やがて老境に入ると体調を崩し、
湯治のために温泉に向かう途中、
61年の波乱に富んだ生涯を閉じます。

日蓮聖人が病の床で本弟子として指定したのが、
日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持で、
彼らは六老僧と呼ばれています。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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