宗教豆知識『仏教』⑫浄土真宗の歴史

能島孝志

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【浄土真宗の歴史】

浄土真宗は親鸞によって開かれました。
9才の時、比叡山に天台宗の一僧侶として出家した親鸞は、
29歳の時に山を下り、聖徳太子の啓示を受け、
法然を訪れてその弟子となります。

法然と出会うことで念仏に触れた親鸞は、
かれを生涯の師と定め、一路念仏の道に突き進みます。

しかし、既成仏教の弾圧により、
法然は土佐に流されてしまい、
親鸞も越後に藤井善信の名で流されて還俗させられます。

流罪後まもなく恵信尼と結婚をして子供ももうけますが、
自らを愚禿と呼び、非僧非俗の自由な立場で仏道を歩みます。

やがて法然は許されて京都に戻りますが、
親鸞は越後に残り、二人が再び会うことはありませんでした。

親鸞は、師がいなくなった京都に戻ることなく、
新天地の関東に向かい、常陸を中心に念仏の教えを広めます。

こうして弟子たちも育成されてゆき、
浄土真宗の本典である『教行信証』が著されます。

60歳の頃に再び京都へ戻り、
精力的に数多くの著作を完成させ、
親鸞聖人は90歳でその生涯を閉じました。

親鸞没後、京都に廟堂が建立され、
これが後に本願寺となり、教団名ともなります。

8代蓮如の時に本願寺は大きく発展しますが、
秀吉の時代に現在の西本願寺の地に移り、
また、家康の時代に大谷派本願寺(東本願寺)ができ、
ここに東西本願寺が両立することになったのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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