「いつか会おう」では、遅いこともある。
「誰が忘れるんだい?」
今日、義母が少しムキになって言いました。
毎週水曜日、義母は地域の「ひまわりカフェ」に参加するのを楽しみにしています。
ところが、ヘルパーさんの訪問時間が午後3時10分になり、途中で帰らなければならなくなりました。
息子は心配して言います。
「忘れるだろ。」
認知症だから、時間を忘れてしまうかもしれない。
その心配はもっともです。
でも、その言葉に義母は反発しました。
私は少し言い方を変えてみました。
「おばあちゃん、楽しい時って時間があっという間に過ぎちゃうことあるよね。家族が迎えに来てくれたら安心じゃない?」
すると義母も、「まあ、そうするか」と受け入れてくれました。
「忘れる人だから」ではなく、「誰でも楽しいと時間を忘れることはある」。
そんな伝え方の違いだったのかもしれません。
実は、こんな場面を私は何度も見てきました。
95歳のお客様は、膝が痛くて歩くのも大変なのに、手すりの話をすると、「私は困っていないから大丈夫」とおっしゃいます。
高校の同級生のお母様も、「私はカーブスに行くくらい元気だから大丈夫」と。
認知症のお客様も、「僕もボケてるから」と笑いながら、お金の管理を娘さんにお願いする話になると、「娘より自分の方がしっかりしてる」と話されます。
みなさん、言葉は違います。
でも、その奥にある気持ちは同じなのだと思います。
「今までの自分でいたい。」
それは、年齢に関係なく誰もが抱く自然な気持ちなのかもしれません。
その気持ちは、決して高齢者だけのものではありません。
実は私自身もそうです。
先週東京へ行き、今週末は奈良・大阪へ出かけます。
以前なら何ともなかった予定が、今は疲れが何日も残ります。
一緒に旅行へ行く友人も、「転んで怪我をした腕がまだ痛い。これが老いるってこと?」と笑っていました。
私たち50代は、昔との違いを少しずつ感じ始める年代です。
「まだ大丈夫。」
そう思いたい気持ちは、私にもあります。
親が老いを認めたがらない姿を見ると、「どうしてわかってくれないの?」と思ってしまうことがありますが、
でも、その姿は、未来の自分なのかもしれません。
私は、親の片付けや介護のお手伝いをしながら、いつも思います。
親の姿を見て、「子どもには同じ苦労をさせたくない」と感じた時が、自分自身のこれからを考えるきっかけです。
入口は親の介護や実家片付け。
でも、本当の着地点は、自分。
親を通して未来の自分を考えることも、終活の一つなのかもしれません。
そんなことを、今日あらためて感じました。


