この世界、知らんことだらけ:Vol.3「カバの汗は赤くて美容にいいらしい

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。
時代が大きく動くとき、
その中心にいる人がいます。
今回は、
北九州市が生んだ陸軍軍人、
杉山元(すぎやま はじめ/1880年~1945年)のお話です。
小倉に生まれ、軍人の道へ
杉山元は、1880年(明治13年)。
小倉に生まれました。
父・杉山貞は、現在の北九州市小倉南区横代の出身。
教育者として活動した人物とされています。
杉山元は豊津中学校を経て陸軍士官学校へ進み。
1900年に陸軍士官学校第12期を卒業。
さらに陸軍大学校へ進み、
軍人としての道を歩み始めます。
1904年の日露戦争にも出征しました。
その後、
陸軍省軍務局長、
陸軍次官、
参謀次長など、
陸軍の中枢を担う役職を歴任していきます。
また、
航空分野にも関わり、
陸軍省航空課長や航空本部長を務めました。
航空機が戦争において重要な役割を持つようになる時代。
陸軍航空の発展にも関わった人物でした。
1936年には陸軍大将となります。
陸軍大臣として日中戦争の時代へ
1937年。
杉山元は林銑十郎内閣と第一次近衛内閣で陸軍大臣を務めました。
この年、
盧溝橋事件をきっかけに、
日本と中国との戦闘は拡大していきます。
杉山は陸軍の中枢で、
こうした時代の政策決定に関わっていました。
その後、
北支那方面軍司令官などを務め、
1940年10月、陸軍参謀総長に就任します。
参謀総長は、
陸軍の作戦指導を担う最高位の職です。
この頃には、
日本と中国との戦争は長期化し、
日本はアメリカなどとの対立も深めていました。
そして、
日本は大きな決断の時を迎えます。
太平洋戦争開戦時の参謀総長
1941年12月8日。
日本はアメリカ、
イギリスなどとの戦争に入りました。
そのとき、
陸軍参謀総長の地位にあったのが杉山元です。
太平洋戦争の開戦時、
杉山元は日本陸軍の作戦指導の中枢にいました。
開戦に至るまでには、
政府と軍、陸軍と海軍、
それぞれの判断や意見が交錯していました。
杉山元一人が戦争を決めたわけではありません。
しかし、
参謀総長として、
開戦とその後の戦争遂行に関わったことも事実。
この時期の記録の一つとして知られているのが「杉山メモ」です。
杉山元が大本営政府連絡会議などについて記したとされる記録。
現在も関係資料が残されています。
1943年、杉山元は元帥となりました。
しかし、
戦況が悪化するなか、
1944年2月に参謀総長を辞任します。
その後、
教育総監を経て、
同年7月には再び陸軍大臣となりました。
戦争の終わり
1945年。
戦局はさらに厳しくなっていました。
杉山元は4月、
本土決戦に備えて編成された第一総軍の司令官となります。
しかし、8月15日、日本は終戦を迎えました。
約1か月後の9月12日。
杉山元は東京の第一総軍司令官室で自決。
66歳でした。
そのとき、
夫人も同日に自決したとされています。
明治期に軍人としての道を歩み始め、
日露戦争、日中戦争、そして太平洋戦争へ。
その時代の大きな変化の中で、
杉山元は陸軍の中枢にいました。
そして、
戦争の終わりを迎えた直後に、
その生涯を終えています。
編集後記
正しいって、なんだろう。
間違っているって、なんだろう。
歴史上の人物を調べていると、
私はいつも、そんなことを考えます。
私たちは、
残された資料から過去を知ります。
誰が何を言ったのか。
何が起きたのか。
そこには、
確認できる事実があります。
でも、
人が見た事実には、
その人の感情や思想も入り込みます。
同じ出来事でも、
立っている場所が違えば、見えるものが違う。
だからこそ、
「自分が見たものが、すべての事実とは限らない。」
ひとつの資料だけではなく、
別の資料を見る。
違う立場から書かれたものを見る。
その出来事の前後を見る。
そうすると、
最初には見えていなかったものが見えてくることがあります。
これは、歴史だけの話ではありません。
人と人との間でも同じです。
「あの人はこう言った」
「私はこう感じた」
それぞれに、その人が見た事実があります。
でも、その一つだけで、
相手のすべてが分かったことにはならない。
自分が見たものは、事実の一部かもしれない。
だから、もう一つを見る。
もう一人の話を聞く。
もう一つの資料を探す。
そのことを通じて、
自分が見ていたものの意味が変わることもあります。
そうなると、
杉山元という人物を、
安易に成否で決めることもできない。
人というのは同調圧力という力で人格が変わることもある。
まず、何が起きたのか。
その時代に、人々は何を見て、何を考えていたのか。
そして、私たちは今、
そこから何を見ているのか。
事実と、それをどう受け止めるかは、同じではない。
その多くは、ノット・イコールです。
杉山元の人生を追いながら、
そんなことを考えました。


