福岡の偉人:福岡市 医師・中村哲 人を救うために、医者の仕事を超えた男

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。

福岡を語る上で、
忘れてはいけない人がいます。

病気を治すために医師になったのに、
やがて気づきました。

「病院だけでは、人は救えない」

そう考え、
医者でありながら用水路を作り始めた人がいました。

今回紹介するのは、
福岡市出身の医師、
中村哲(なかむら てつ/1946年~2019年)です。

医師として始まった人生

中村哲は1946年、
福岡市に生まれました。

九州大学医学部を卒業後、
神経内科医として勤務。

1984年、
パキスタン北西部のペシャワールへ渡り、
ハンセン病患者の診療に携わるようになります。

しかし現地で中村哲が目にしたのは、
病気だけではありませんでした。

戦争。
貧困。
飢え。
・・・そして水不足。

診察室で患者を救っても、
翌日には飢えや感染症で命を落としていく現実がありました。

「病気の前に、水がない」

中村哲は現地で活動する中で、
ある結論にたどり着きます。

病気を治す前に、
人が生きられる環境を作らなければならない。

つまり、
水がなければ、
医療そのものが成り立たない。

そう考えた中村哲は、
医師でありながら井戸を掘り始めます。

さらに、
干ばつで荒れ果てたアフガニスタンの大地に
大規模な用水路建設を進めていきました。

白衣を脱ぎ、作業着を着た医師

周囲からは反対もありました。

「医者が土木工事をするのか」
「専門外ではないか」

そんな声も少なくありませんでした。

それでも中村哲は動きました。

目の前で人が死んでいく現実に、
肩書きは関係ないと思ったからです。

白衣ではなく作業着を着て、
ショベルカーに乗り、
現地の人たちと共に用水路を作り続けました。

その結果、
広大な土地が緑を取り戻し、
数十万人の生活を支える基盤となりました。

命を懸けて続けた支援

35年以上にわたり、
パキスタンとアフガニスタンで活動を続けた中村哲。

その功績は現地でも高く評価され、
外国人として初めて
アフガニスタンの名誉市民にもなりました。

しかし2019年12月4日。

中村哲は、
用水路建設の現場へ向かう途中、
武装集団による襲撃を受け、
73歳で亡くなります。

その死は日本だけでなく、
アフガニスタン中に大きな衝撃を与えました。

中村哲が残したもの

中村哲が残したのは、
病院でもありません。

用水路だけでもありません。

それは、
「本当に必要なことをする」という生き方です。

肩書きに縛られない。
前例に縛られない。

「自分の仕事だからやる」
ではなく、

「目の前の人が困っているからやる」

その姿勢こそが、
今も多くの人の心を動かしています。

現在も福岡のNGO「ペシャワール会」によって、
中村哲の遺志は受け継がれています。

編集後記

私たちは仕事をしていると、

「それは私の担当じゃない」
「専門外だから」
「前例がないから」

そんな言葉を、
つい使ってしまいます。

でも、
中村哲は違いました。

医者なのに、
用水路を作った。

それは、
医者を辞めたのではなく、

人を救うことから逃げなかっただけだった。

今の時代は、
肩書きや役職ばかりが先に語られます。

けれど本当に問われるのは、
「あなたは何者か」

ではなく、
「誰のために、何のために動くのか」
なのかもしれません。

人は、
できることが増えた時よりも、

やるべきことから逃げなくなった時に、
本当の意味で強くなるのだと思います。

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鎌田千穂
専門家

鎌田千穂(産業カウンセラー)

Chi-ho’s studio

組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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