脳は優しさで曖昧にする:「行けたら行くね」問題

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。
誰よりも「正しい」と信じていたからこそ、
その“正しさ”そのものに揺さぶられ続けた人物。
戦争を経験し、
時代の空気の中で揺れ、
最後には、自らの命を使って抗議という形を取った男。
今回紹介するのは、糸島市出身の人物。
由比忠之進(ゆい ちゅうのしん/1894年~1967年)のお話です。
この人は何者だったのか言い難い
まず正直に言うと、この人物は分かりづらいです。
記録として語られている部分はあります。
一方で、それをどう解釈するかには後年の視点も混ざっています。
だからここでは無理に整理しません。
分からない部分は、分からないまま残します。
“優秀な人”として始まった人生
由比忠之進は、福岡県志摩郡前原村で生まれました。
現在の福岡県糸島市前原です。
高い教育を受け、
後の東京工業大学につながる学校で学んだとされています。
技術者として生きる道もあったはずの人。
ですが、工場で働く現場に身を置いた時期もある。
特許翻訳、木工、家具店経営、放送局勤務など。
複数の仕事を経験しています。
この時代の由比忠之進は、
あるがまま動き続けていたように見えます。
理想はあれど、人は時代に飲み込まれる
ただ、由比忠之進は、
最初から特定の思想や立場にいた人物とは言い切れません。
時代は戦争へ向かっていました。
彼自身も満州へ渡り、
当時の日本の戦争を「正しい」と信じていた時期があったとされています。
ただし、それも確かな内面までは分かりません。
少なくとも言えるのは、
その時代を生きた多くの人と同じように、
国家や社会の空気の中で生きていたということです。
国のため。
正義のため。
守るため。
そうした言葉の中で、
人は行動の理由を持つことができてしまう。
けれど敗戦によって、
その前提は崩れていきます。
その後、由比忠之進がどんな確信を持っていたのか、
はっきりとは分かっていません。
ただ、「自分はどこに立っていたのか」という問いだけが、
残っていた可能性はあります。
“正義”は、人を凶器に変えてしまう
1960年代。
世界ではベトナム戦争が激化していました。
アメリカは「自由のため」と語り、
その一方で多くの命が失われていきます。
そして日本も、その仕組みの外にはいませんでした。
由比忠之進がそれをどう見ていたのか、
詳細な内面は分かりません。
ですが強い違和感や危機感のようなものを抱いていたと語られています。
命を使ってまで、そこに立った
1967年。
73歳になった由比忠之進は、
東京の首相官邸前で焼身という形を取ります。
当時の佐藤栄作首相の対米姿勢。
そして、ベトナム戦争への関与に対する抗議とされています。
政治的抗議として語られる一方で、
そこに至る感情や思考の全体像は今となっては知る人ぞ知るお話。
今の時代だからこそ、考えたいこと
今は戦争が遠いものに受け取りがちな時代。
当事者意識も希薄になりやすい。
けれどSNSでは、
誰かを断罪し
正義を掲げ
間違いを裁き
相手を敵に変える
そんな空気が、毎日のように流れています。
しかも怖いのは、
その多くが「悪意」ではなく、
“正しいことをしている感覚”
で行われていることです。
武器が言葉に変わっただけ。
その人としての行動は、
昔とそれほど変わっていないのです。
由比忠之進の人生は、
「戦争反対」だけの話ではなく、
“正義を信じる時、人はどこまで残忍になるのか”
を問い続けた人生だったように感じます。
編集後記
人は、悪だから誰かを傷つけるとは限りません。
むしろ、
「自分は正しい」と思った時ほど、
相手を傷つけていることに気づけなくなる。
由比忠之進は、
その怖さを、自分の人生で見てしまった人だったのではないでしょうか。
だからこそ最後まで、
“正義に飲み込まれる人間”
を止めたかったのかもしれません。
人間形成は時代が生み出す
そして人の思想や生き方は、
突然生まれるものではありません。
どんな言葉に触れ、
どんな教育を受け、
どんな時代を生き、
どんな情報の中で育ったのか。
その積み重ねが、
人の「正しさ」を形作っていきます。
だからこそ怖いのです。
自分では“考えている”つもりでも、
知らないうちに、
時代や空気や情報に飲み込まれていることがある。
今のSNS社会は、
まさにそれが加速している時代なのかもしれません。
由比忠之進という人物を通して見えてくるのは、
戦争の話だけではなく、
「人は、何によって“正義”を作ってしまうのか」
という、人間そのものへの問いなのではないでしょうか。


