AIとの共存:未来のビジョンを映画『アイ, ロボット』で考える
チホズスタジオ
産業カウンセラーの鎌田千穂です。
福岡市に拠点を置き、オンラインや訪問産業カウンセリングをしています。
事業内容は産業カウンセリング及びコンサルティング。
「業務改善・組織変革」の企画提案実施です。
他にもチホズ文字分析による、人材分析及び提案も。
福岡の発展を語る上で忘れてはならない人物。
田中諭吉さんです。
私達が当たり前に過ごす場所に色々と関わっている御仁。
今日は、そのことを書いていきながら、心のあり方について考えてみましょう。
福岡の街に彩りを仕掛けた1人。
田中諭吉さんの発想力とユーモアに満ちたアイデアは今でもその影響が色濃く残っています。
田中諭吉さんとは?
田中諭吉さん(1901~1970)は、博多の川端に生まれたアイデアマン。
田中諭吉さんの発想力とユーモアで福岡は一気に活気づきました。
「光頭無毛文化財(こうとうむけいぶんかざい)」なんてユニークな肩書きを自ら名乗り、多くの人々に笑いや楽しさを提供しています。
さて、そんな田中諭吉さんが福岡に残した偉業の数々を振り返ってみましょう!
博多祇園山笠の華「集団山見せ」
博多の長く熱い夏の風物詩、博多祇園山笠。毎年の熱いイベントで見所満載。
ですが、特に「集団山見せ」は田中諭吉さんの発案です。
期間中に一度だけ那珂川を渡って福岡部まで走るこの行事。
これも田中諭吉さんのアイデアから生まれたものなんです。
巨大お多福面と節分
節分になると櫛田神社の楼門に登場する巨大な「お多福面」。
これも田中諭吉さんのユーモアあふれる発案。
「福が来ないならこちらから飛び込んで行こう」という田中諭吉さんの発想が、この特大お多福面を生んだそうです。
平安時代の雅な宴「曲水の宴」
太宰府天満宮で行われる「曲水の宴」は、平安時代の宮廷貴族たちの雅な宴を再現したもの。
日本ならではの伝統行事です。
参加者たちが、衣冠束帯(いくんそくたい)や十二単(じゅうにひとえ)などの平安時代の装束を身にまとい、川の流れに沿って杯を浮かべ、詩歌を詠むという優雅な風景を演出します。
この「曲水の宴」も田中諭吉さんのアイデアによって復活。
今日まで続いている伝統行事のひとつになっていますね。
新天町商店街の誕生と発展
さて、まだまだあるんですよ。
終戦直後、現在の西鉄福岡駅西側に広がっていたガレキの山を商店街に変える考案。
荒れ果てた地域が現在の新天町商店街として見違えるように変身する始まりを仕掛けています。
新天町商店街は1946年10月15日に設立され、今年で設立から79年目。
田中諭吉さんの一言がきっかけとなって、この商店街が多くの人々を引き寄せ、天神地区は発展していきました。
新聞社での若き日々
27歳の時に福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社)に入社した田中諭吉さん。
戦時中に「大東亜建設博覧会」を実現。
その後の福岡市の発展に大きく寄与しました。
特に、百道の松原(現在の西新地区)の発展を導いたのも田中諭吉さんの功績です。
博多を笑顔にしたユーモアセンス
人を笑わせるのが大好きだった田中諭吉さんは、禿げ頭を逆手に取り「光頭無毛文化財」と名乗るユーモアセンスの持ち主。
他にも「博多仁和加振興会」や「九州漫画家協会」などを設立。
博多の文化をどんどんと盛り上げました。
そのユーモアセンスが、多くの人に笑いや楽しさをもたらしたことは言うまでもありません。
田中諭吉さんを通じて心のあり方を考える
田中諭吉さんの生涯から学べることは、発想力やユーモアだけではありません。
一貫して見られる心のあり方があります。
芸術とアイデアの融合
絵を描くのが得意だった田中諭吉さんは、独学で書画を学び、新聞社では絵画班として採用されました。
田中諭吉さんの得意な絵や文字を活かした企画書は、どんな困難にも粘り強く交渉し、様々なイベントや行事を実現させました。
今で言う、PowerPointを使ったプレゼンテーション。
言葉だけでなく、イメージが湧くように、可視化して伝える大切さを知っていた方ですね。
他にもまだまだ大切なこと。
挑戦する心
どんな困難にも臆することなく立ち向かい、独自のアイデアで解決策を見つけています。
新しいことに挑戦し続ける姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与えました。
他者を喜ばせる心
物事を円滑に進めていくことに欠かせないもの。
常に笑いや楽しさを提供することを心がけ、「光頭無毛文化財」といったユーモラスな肩書きを自ら名乗るなど、人々を喜ばせることに尽力されています。
自分の幸せだけでなく、周囲の人々の喜びを大切にする姿勢は、現代においても忘れてはならないものです。
地元愛と奉仕の心
生涯を通じて、福岡に対する深い愛情を持ち、その愛を具体的な行動に移している姿。
博多祇園山笠や「曲水の宴」といった伝統行事を復活させるなど、地域に対する貢献を惜しまず、地元の発展が自分の発展となっていることがわかります。
大切なものを世に残したいという真っ直ぐな気持ちは、人が人を呼び動かすことができる。
人間力というものは、そういった素直さから生まれるものではないでしょうか。
まとめ
田中諭吉さんという一人のアイデアマンがいなければ、今の福岡は存在しなかったかもしれません。
田中諭吉さんの発想力と溢れるユーモア、そして福岡への深い愛情が、この街を豊かにし、笑顔に満ち溢れさせています。
そのことを通じて田中諭吉さんの人生から学べることは本当に多い。
田中諭吉さんの足跡をたどって、今直に感じる彼の情熱と温かさを、私たちも心に刻むこと。
きっと、エンターテイナーになりたくてなったわけでも有りません。
天才で才能が溢れる逸材だということでもない。
ただ、ただ、人を笑顔にすることをしようと思われて楽しかったんじゃないでしょうか。
皆が喜ぶことを探しては、諦めずに粘り強く続けていた。
気がついたら福岡の歴史を作っていた1人になっていただけではないでしょうか。
そう考えると、あなた自身もデキることを始めて続けるだけ。
もっと豊かで尽きることのない笑顔の花を、自身の人生に咲かせることができるはずです。