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鈴木壯兵衞プロは青森放送が厳正なる審査をした登録専門家です

第81回 農家でも発明ができる。産業財産権は、全産業分野をワンチームにして経済の発展に寄与

鈴木壯兵衞

鈴木壯兵衞

テーマ:特許制度の意味

 このコラムの第59回で指摘したように、1989年、1997年、2014年の消費税増税の度で実質GDPの成長率が急激に減少するディップを示している。2019年の消費税増税が我が国の経済に打撃を与えているところ2020年の経済はCOVIT-19の追い打ちを受けたが、2023年5月にCOVIT-19による感染症は5類に移行した。
 
 2013年からの日銀の「量的・質的金融緩和」は、COVIT-19の影響下の2020年3月には、金融市場に日銀が大規模資金を流し始めたが、2024年からは金融政策の枠組みの見直しが始まったようである。
 
 新たなイノベーションを伴わずして、果たして、我が国の経済は回復するであろうか。



 

§1 異端児とされた大館市の農家

(1.1)出る杭を打つ社会がイノベーションを阻害する

 秋田県大館市で農業をされている畠山和夫氏が、原種である「あきたこまち」に比し大粒であり、10a(=一反)あたりの収量が30%以上増大可能で、しかも食味値の高い稲の新品種を個人で開発した。新品種の開発に際しては周囲から、「農家はそんなことに手をだすべきではない」という消極的なアドバイスがあったという。
 
 農家の長男として生まれた筆者は、2020年に種苗法登録出願と植物特許の出願で畠山氏の手伝をしているが、課題は畠山氏のグローバル戦略に伴う費用の捻出である。

(1.2)米不足なら大粒の米にすればよい


 2024年の8月から9月にかけての「令和の米騒動」と言われた米不足は一体なんであったろうか。畠山氏の水稲から得られる玄米は、従来のあきたこまちの玄米よりも、長く幅が広く、かつ、重い。玄米の粒は、長さ6.2~6.8mm程度で、幅2.9~3.3mm程度であるる。あきたこまちの玄米の粒は、長さ5.2~5.8mm程度で、幅2.4~2.8mm程度である。

 畠山氏の玄米の千粒重は31~34g程度であるが、あきたこまちの千粒重は22~25g程度である。畠山氏の米は、1株から2800~3200粒程度の籾を得ることができる。1株から約1000粒の籾が得られるあきたこまちとは、粒数で比較すると約3倍の収量となる。

(1.3)大きくても食味値が高い畠山氏の米

 食味分析機器として、株式会社サタケ製の米粒食味計、静岡製機株式会社製の食味分析計及び株式会社ケツト科学研究所製の成分分析計を用いて測定したところ、3種類の食味分析機器のいずれにおいても、従来のあきたこまちの玄米と比較して、畠山氏の開発した新品種の玄米の方が、「食味値」が高いデータが得られた。
 
 又、多すぎると食味に悪影響を及ぼすとされるタンパク質含量についても、従来のあきたこまちの玄米と比較して、畠山氏の開発した新品種の水稲による玄米の方が低いデータが得られた。更に、多すぎると古米臭が発生しやすいとされる脂肪酸含量についても、脂肪酸度を測定可能な2種類の食味分析機器のいずれにおいても、従来のあきたこまちの玄米と比較して、畠山氏の開発した新品種の水稲による玄米の方が低いデータが得られた。

(1.4)特許法と種苗法による二重の保護

 
 畠山氏は、2020年1月に日本国に対し、2020年12月に韓国、米国、日本、中国に種苗法の登録出願をした。
 そして、2023年6月には韓国で農林部国立種子院管轄の国立種子管理所の審査を経て育成者権の登録(登録第9620号)を、2023年11月には米国農務省植物品種保護局から品種登録(登録第202100157号)を得た。
 
 更に、2024年9月には、日本国農林水産大臣から品種登録(登録第30453号:Oryza sativa L;ズッパーサン)を得た。日本の品種名の一部になっている「ズッパー」は大館市や鹿角市の周辺及び青森県~岩手県の旧南部藩の地域の方言で「たくさん=じっぱり、ずっぱり」の意である。

 江戸時代の大館市は久保田藩の領地であったが、隣の鹿角市や小坂町は南部藩の領地であった。北海道の道南方言にも「たくさん」を「がっぱり、がっつり、ずっぱり」と言うようであるが、江戸時代には函館に南部藩の陣屋があった。

 「サン」は大館市十二所にある三哲山(393.9m)の三(サン)から由来している。江戸時代の落語家である二代目・船遊亭扇橋が1841~1843年に著した東北旅日記『奥のしをり』に、「大滝から見ると、十二所の向こうに三哲山という山がある。ここには昔、南部から来た三哲という医者がいた。」と記載されている。三哲は医名であり、千葉上総介秀胤(ひでたね)のことで、学号は玄秀である。先祖は藤原を名乗り、元は南部領の下戸前(しもとまえ)に居住していたそうである。

 秀胤が十二所に移ったのは1666年であるが、文・武・医の三道に優れていたため「三哲様」と呼ばれ、武芸も教えていたが、49歳の1672年に十二所城主により処刑された。その後、大館に大火があり、この大火を秀胤の祟りと恐れた住民たちが蝦夷ヶ森に三哲神社(大館市十二所字中岱)を建立して祀り、蝦夷ヶ森が三哲山と呼ばれるようになった。なお、二戸市下斗米(しもとまい)の大宮神社境内にも「三哲塚」がある。

 なお、中国への種苗法登録出願は、現在農業農村部での審査が継続中である。
 
 又、畠山氏は、2021年2月にこの新品種の米に関し特許出願をし、2021年11月に特許第6973841号を登録し、これにより特許法と種苗法による二重の権利化に成功している(発明の名称「稲種及び混合米」)。特許第6973841号の請求項4~7は市場における販売形態に留意したビジネスモデル的な特許権になっている。

(1.5)「ズッパーサン」の親の「あきたこまち」は品種登録されていない

 種苗法第5条第3項には、「育成者が二人以上あるときは、これらの者が共同して品種登録出願をしなければならない」と規定されている。例えば、「コシヒカリ新潟BL1号(第8539号)」の場合は、星豊一氏を筆頭育成者として17名の共同育成者になっている。更に種苗法第23条には、共有に係る育成者権の規定もある。

 今回品種登録された「ズッパーサン」の原種である「あきたこまち」は、福井県と秋田県で権利の譲り合いをした結果、品種登録はなされなかったと、されている。種苗法第5条第3項や第23条等の規定を鑑みると、少し残念な気がする。

 1967年に米が大豊作となり供給過剰になると、1969年に佐藤栄作内閣は食料管理法を改正し「自主流通米制度」を発足させ、1970年には「減反政策」が導入された。「自主流通米制度」は生産地別の品種ブランドが重要となる「銘柄米制度」の導入であるが、1973年に田中角栄内閣は「指定銘柄制度」を発足させた。このような背景の下、「コシヒカリ」の収量は1975年から1985年にかけて急上昇している。

 「あきたこまち」の品種改良の歴史をたどると、1975年に福井県農業試験場で「コシヒカリ」と「奥羽292号」の交配の試みが開始されたのが最初である。そして、1977年に秋田県農業試験場の齋藤正一科長と畠山俊彦研究員が1977年に雑種第一代1個体分の雑種第二代種子を譲り受け、秋田県農業試験場で食べておいしいものを10万株近くから選抜した。

 そして、1981年 雑種第六代の選抜終了後、有望系統(雑種第七代種子)に「秋田31号」という開発番号がつけられ、試作が始まる。1984年になり、米の見た目のきれいさとおいしさが認められ、新品種「あきたこまち」としてデビューした。しかし、福井県と秋田県の両県で権利の譲り合いをし、種苗法による品種登録をしないという残念な結果に至った。

 1969年の「自主流通米制度」に伴う「銘柄米制度」の導入が、福井県と秋田県の両県の間の権利を争う負の貢献をしてぃる可能性がある。

(1.6)米粒をリンゴの大きさまで拡大できるか?

 米の品種改良は、大きく分けて以下の(a),(b),(c)の要素が中心になっている。

  (a) 味の改良:炊いたときのツヤや食味の向上
  (b) 利便性の改良:
      (b-1) 収量性が高い 
    (b-2)風などで倒れにくい強度
    (b-3)育てやすい(安定した生産性)
      (b-4) 収穫時期が早い
  (c) 耐性の改良:
    (c-1)病気・害虫に強い
     (c-2) 寒さ・高温に強い

 これらの要素のうち(b-1)の収量性に着目したとき、米粒の大きさはどこまで拡大できるであろうか。米粒が大きくなると、強稈性(茎が強く倒れにくい性質、“稈”はイネ科の茎)の維持が課題となる。世界で一番長いお米は、インディカ米に属するバスマテイライスで、米粒の長さは8.3~8.4mm程度である。バスマテイライスには15以上の銘柄があり、インドのアンビカ(AMBIKA)という銘柄には18mm位の者がある。中には20mmを超えるものもあるという。

 既に述べたとおり、「ズッパーサン」の親である「あきたこまち」は、「コシヒカリ」と「奥羽292号」の交配から生まれているが、「奥羽292号」の系譜を更に遡ると、インディカ米の「Tadukan」にたどり着く。1955年頃から、稲のいもち病等の病原虫抵抗性対策として、外国稲の高度な抵抗性が注目され、中国産の茘支江、杜稲、北支太米、南方産のTadukan、TKM1、アメリカ産のZenithなどを用いて、「クサブエ」「ユーカラ」「千秋楽」「ウゴニシキ」「峰光」「PiNo.3」「PiNo.4」「PiNo.5」「フクニシキ」「とりで1号」などが育成された。

 「奥羽292号」はこの「PiNo.4」をルーツにもっている。「PiNo.4」は農林省中国農業試験場(福山市)の北村英一氏が、「Tadukan」と「農林8号」とを5回の戻し交配をして育成したものである。「ズッパーサン」の玄米の粒が大きいのはインディカ米に依存しているのかもしれない。「Tadukan」はフィリピンから導入されたようである。

 りんごの原種と言われるサナシは、さくらんぼより小さいようである。中世に中国 から渡ってきたとされる「和リンゴ」も直径が30mm程度らしかったので、極小粒リンゴの大きさまでは米粒の大きさは、品種改良により拡大できるであろうか。

(1.7)「ズッパーサン」は大館市のふるさと納税返礼品

 ふるさと納税の人気返礼品が米と肉なので、ほとんどの自治体で米を出品している。筆者の調べた範囲では、原種である「あきたこまち」は、茨城県の行方市及び八千代町、岩手県の雫石町の3つの自治体でふるさと納税の返礼品になっているが、未だ多数あると思われる。畠山氏の「ズッパーサン」は2024年から委託事業者をカメイ株式会社として、大館市のふるさと納税の返礼品として採用されている。
 
 なお、「コシヒカリ」の名称を一部に含む銘柄の種苗法による品種登録は第8539号の他87件がある。ふるさと納税の返礼品として採用した自治体の最も多い銘柄は、「コシヒカリ」であり、筆者の調査範囲では、茨城県の行方市、八千代町、境町、つくばみらい市の4自治体、新潟県の長岡市、胎内市、南魚沼市の3自治体、更に石川県宝達志水町と三重県明和町を合わせて合計9の自治体が採用していることが発見された。
 
 その他、筆者の調査範囲ではあるが、「つや姫(品種登録第23506号)」が山形県の天童市、酒田市及び村山市の3つの自治体に、「ゆめぴりか(品種登録第22544号)」が北海道三笠市及び北竜町の2つの自治体に、「ななつぼし(品種登録第13457号、28985号)」が北海道浦臼町及び千歳市の2つの自治体に、「ひのひかり(品種登録第3293号他2件)」が宮崎県五ヶ瀬町と熊本県玉東町の2つの自治体に、「さがびより(品種登録第23068号)」が、佐賀県の上峰町及び吉野ヶ里町の2つの自治体に、「はえぬき(品種登録第4378号)」が山形県の遊佐町及び村山市の2つの自治体においてふるさと納税の返礼品として採用されている。
 
 他に、「ひとめぼれ(品種登録第3744号:岩手県奥州市)」、「にじのきらめき(品種登録第32954号:茨城県八千代町)」、「ミルキークイーン(品種登録第7765号他1件:茨城県八千代町)」、「こしいぶき(品種登録第12443号:新潟県見附市)」等の銘柄がふるさと納税の返礼品として採用されている。

 なお、茨城県八千代町は「こしひかり」 「あきたこまち」 「にじのきらめき」 「ミルキークイーン」の 4種の食べ比べセットを、茨城県行方市は「コシヒカリ」と「あきたこまち」の2種のおいしさ食べ比べセットを、ふるさと納税の返礼品として採用している。

 また、品種登録はされていないが、「阿蘇だわら(商標登録第6691515号:熊本県高森町)」及び「ふくきらり(商標登録第6768424号:福岡県赤村)」等の米がふるさと納税の返礼品として採用されている。商標登録第6691515号と第6768424号は、福岡県久留米市の酒見食品工業株式会社が権利者である。「ふくきらり」の銘柄は「ひのひかり」のようである。

 更に、筆者の調査では品種登録や商標登録がされていない「ほたるの灯り(熊本県和水町)」及び「甲佐の輝き(熊本県甲佐町)」もふるさと納税の返礼品とされているようである。「ほたるの灯り」の銘柄は「森のくまさん(品種登録第8854号他2件)」や「ひのひかり」のようであり、「甲佐の輝き」は、複数原料米のブレンド米を、ふるさと納税の返礼品としているようである。

(1.8)米のブランド戦略はどうするか

 一般的な植物の育成者権の存続期間は登録日から25年間(果樹、材木、鑑賞樹等の木本は30年間)である。存続期間が切れると、誰でも自由に新品種を栽培できる。このため、市場に流通する新品種の品質にバラツキが生じて新品種のブランド価値が損なわれる可能性がある。一方、商標登録は10年毎に更新登録することにより、永久的に独占権を取得できる。
 
 出願商標が、種苗法により品種登録を受けた品種(以下「登録品種」という。)の名称と同一又は類似し、品種登録の存続期間内である場合は、商標法第4条第1項第14号に該当して登録を受けることができない。一方、種苗法4条1項2号は、「出願品種の種苗に係る登録商標又は当該種苗と類似の商品に係る登録商標と同一又は類似のものであるとき」は品種登録できないと定めている。

 更に種苗法4条1項3号は、「出願品種の種苗又は当該種苗と類似の商品に関する役務に係る登録商標と同一又は類似のものであるとき」は、品種登録できないと定めている。そして、種苗法第16条第1項は、「農林水産大臣は、出願品種の名称が第四条第一項各号のいずれかに該当するときは、出願者に対し、相当の期間を指定して、出願品種の名称を同項各号のいずれにも該当しない名称に変更すべきことを命ずることができる」と定めている。このため、品種登録した品種名とは別の名称を新品種のブランド名として商標登録する必要がある。
 
 新品種のブランド名となる名称については、品種登録した品種名とは別の名称の商標を取得し、新品種に関する品質基準などを守ることを条件にブランド名の使用を認めれば、商標で半永久的に新品種の品質を担保でき、ブランド価値を守ることが可能となる。
 
 例えば、石川県宝達志水町の返礼品において、中橋商事株式会社は、「こしひかり」を商標登録第5875963号の「饗のこめ (あえのこめ)」の名前で提供している。

 そして、品種名と同一の名称の商標登録はできないが、梨北農業協同組合は、「梨北米こしひかり(登録4811373号)」、全国農業協同組合連合会は、「ながさき\こしひかり(登録4857354号)」、京都農業協同組合は、「京都園部産こしひかり(登録5348616号)」、新潟県は「新潟県農業大学校産\特別栽培米\コシヒカリ(登録5664382号)」、白山農業協同組合は、「白山こしひかり姫ごはん(登録5905717号)」、株式会社中村農園(コシヒカリ∞新潟県長岡産コシヒカリ使用(登録6417881号))、農事組合法人穂MINORIは、「広島県世羅産こしひかり(登録6645271号)」を登録しているので、工夫すれば品種名を一部に使った結合商標等の形式で商標登録も可能である。
 

(1.9)中国での商標登録対策が必要

 中国では日本産の米は、中国産に比べ20倍以上の値段で売れる高級品(贅沢品)であるため、「秋田小町AKITAKOMACHI」は2003年に吉林省の企業が中国の国家知識産権局商標局 に商標登録している。又、「一目惚」は2005年に遼寧省盤錦市の企業が、「月光(コシヒカリ)」は1993年に中国企業が、「越光KOSHIHIKARI」も複数の中国企業(東京にある企業を含む)が国家知識産権局商標局に商標登録している。「青天の霹靂」は2016年に個人が、「はえぬき」は2020年に遼寧省の企業が国家知識産権局商標局に商標登録している。
 
 これに対し、「ゆめぴりか」、「ななつぼし」は日本の全国農業協同組合連合会が2014年に、「つや姫」は山形県が2011年に、中国の国家知識産権局商標局に商標登録済みである。「ミルキークイーン」は、山形県酒田市の株式会社渡部製作所の渡部義彦氏が2014年に国家知識産権局商標局に商標登録している。しかし、ロゴ付きにした「ミルキークイーン」が2017年に上海の企業によって商標登録されている。

 中国での商標登録の実情を考えると、米の銘柄の中国の国家知識産権局商標局における商標登録は急ぐ必要がある。なお、日本とは異なり、現在の中国の法体系では、中国の農業部に品種登録した米の銘柄の名称と同じ名称を、国家知識産権局商標局に商標登録が可能な規定になっているので、注意が必要である。

§2 清瀬博士が「工業的発明」を「産業的発明」にした

(2.1)国際的には特許は8つのセクションに分類されている

 特許法第29条第1項には「産業上利用することができる発明」という規定がある。特許・実用新案審査基準第III部では「ここでいう『産業』は、広義に解釈する。この『産業』には、製造業、鉱業、農業、漁業、運輸業、通信業等が含まれる。」と記載されている。
 
 特許では国際特許分類(IPC)というものがある。国際的に標準化されている特許を分類するためのコードの体系であるIPCは、特許の分野で適当であると認められる全知識体系を以下の8つのセクションに分けて表現している:

(2.2)元々特許は工業を意図していなかった


 明治18 年の専売特許条例第1 条第1 項において、「有益ノ事物ヲ発明シテ之ヲ専売セント欲スル者ハ農商務卿ニ願出其特許ヲ受クヘシ」と定められており、特に工業に限定する規定ではなかった。
 
 明治21 年の特許条例第1 条第1 項においては、「新規有益ナル工術、機械、製造品及合成物ヲ発明シ又ハ工術、機械、製造品及合成物ノ新規有益ナル改良ヲ発明シタル者ハ此条例ニ依リ特許ヲ受クルコトヲ得」と定められていた。
 
 御木本幸吉が明治29年(1896年)に半円真珠の特許(特許第2670号)を取得している。又、西南戦争で薩軍に参加した経歴をもつ宮崎県の河野平五郎が明治31年(1898年)田植機械の特許(特許第3231号)を取得しているので、特許の対象が工業に限定されていた訳ではないことが分かる。
 
 そして、明治32 年の特許法第1条第1項において、「工業上ノ物品及方法ニ関シ最先ノ発明ヲ為シタル者若ハ其ノ承継人ハ此ノ法律ニ依リ特許ヲ受クルコトヲ得」と定められ、「工業上」の文言が現れてきている。
 
 大正10年改正特許法第1条には、「新規ナル工業的発明ヲ為シタル者ハ其ノ発明ニ付特許ヲ受クルコトヲ得」と規定されていた。
 
 大正10年の特許法案衆議院委員会で、「日本特許法の父」清瀬一郎先生(当時衆議院議員)は、「第1条中『工業的発明』の文字は寧ろ『産業的発明』と改むるか、若しくば全然削除し、単に『発明』としては如何。特に工業的と限りし理由如何」と質問している。

 なお、清瀬先生は、東京裁判では東條英機(本籍は東京であるが、南部藩士の家系で東條家の墓は盛岡市にある。)の主任弁護人を務められている。清瀬先生は、東京裁判では日本側弁護団副団長で、団長は鵜沢総明(うざわふさあき)明大総長であった。
 
 大正10年当時の特許局長宮内国太郎氏は、「特許条約或は独逸等の特許法にも同文字を使用しあり。旁々日本にも亦た之に準ぜしなり」と答えたが、清瀬先生は、「然らば水産業農産業或は商業的発明も亦工業的文字の内に含有さるるものと認めて可なる乎」と述べている。しかし、第1条の「工業的発明」の文字は残った。
 
 昭和34年(1959年)法改正のときに清瀬先生が工業所有権法調査委員長として参画し、特許の保護対象が「工業的発明」から「産業上利用することのできる発明」に変更された。但し、昭和34年改正法において特許は「工業所有権」に属していた。
 
 その後、平成14年(2002年)に知的財産基本法が制定され、従来の「工業所有権」の名称が「産業財産権」なり、特許が工業等の製造業だけでなく、農業等の種々の産業を含むことが明確になったのである。例えば、農業はIPCの8つのセクションのA:生活必需品に含まれている。

(2.3)特許法は産業を保護する目的を有している

 特許法は極めて産業政策的要素が強く、1960年代には、我が国は工業製品の輸入自由化による国内産業の衰退が懸念されていたが、技術革新による、工業製品の価値の向上により乗り切ることとなった。
 
 昭和50年(1975年)以前においては、飲食物,嗜好物,医薬またはその混合方法,化学物質,および原子核変換物質についての発明は特許の対象から除外されていた。産業政策的にアメリカ等の戦勝国に比して日本の当時の現状では特許を取得する技術力がないという理由からである。
 
 昭和50年改正法により、物質特許制度が採用され、医薬および化学物質が特許の保護対象として認められるようになった。さらに平成6年(1984年)法で原子核変換物質が対象とされ,平成14年(2002年)改正法においてコンピュータ・ソフトウェア・プログラムも発明として明記されたのである。
 
 2010年代になり、TPPの関税撤廃による国内の農業の衰退を懸念する声があがった。これも農業分野の特許出願を伴う技術革新による、農業製品の価値の向上による競争力強化が望まれるところである。第59回の§4章で述べたようにGDPとは、すべての粗付加価値の総和である。

§3 世界の3割を占める小麦は秋田県農事試験場が原点

  1916年に米麦品種改良奨励規則を公布し米麦品種改良事業を開始した農商務省は、1927年に農林番号品種制度を発足させた。

  1918年に農商務省農事試験場(現 農研機構)に就職した稲塚権次郎氏は1919年に秋田県農事試験場陸羽支場に赴任し、前任の仁部富之助氏と寺尾博氏が交配して研究を進めていた成果を基礎に、「陸羽132号」という雑種(広義のハイブリッド品種)を1921年に完成する。日本初の人口交配種の誕生である。

  稲塚氏は1926年に岩手県農事試験場に転勤することになる。転勤までに、稲塚氏は「陸羽132号」の雑種4世代(F4)及び雑種5世代(F5)の選抜までしていた。そして、新潟県農事試験場の並河成資(なみかわなりしげ)氏が「陸羽132号」の雑種5世代(F5)を用い、1931年に「農林1号(水稲農林1号)」が登録された。「水稲農林1号(農林1号)」は、日本の戦後の食料危機を救った品種とされる。

 1944年に新潟県農業試験場(現北陸農業総合試験場)で高橋浩之氏(広島県)により「農林1号」と「農林22号」の人工交配が行われた。そして、「農林1号」と「農林22号」の交配による稲は1953年に福井農事改良実験所(現福井県農業試験場)で「越南17号」と命名された後、1956年に「水稲農林100号(コシヒカリ)」として認定される。

 種苗法による品種登録制度が開始されたのは、1978年である。「ササニシキ」を1回親,「コシヒカリ」を反復親として戻し交配を行い育成された固定品種「コシヒカリ新潟BL1号」が1997年に出願され、新潟県を登録者として2000年に種苗法による品種登録(第8539号)されている。

 1926年の岩手県農事試験場への転勤で、稲塚氏は水稲の新品種育種の夢と機会を失う。しかし、稲塚氏は秋田県農事試験場陸羽支場での7年間の経験を生かして、小麦の新品種育成を開始する。

 1929年に稲塚氏が育成した小麦は、1927年に発足した制度の最初の農林番号が付与され、「小麦農林1号」として登録された(1931年の「水稲農林1号」よりも早い。)。更に稲塚氏は「ターキーレッド」とフルツ達磨を交配した雑種7世代(F7)を育成し1934年に「小麦東北34号」と名付けられる。「小麦東北34号」を更に系統栽培した雑種9世代(F9)が1935年に「小麦農林10号(NORIN TEN)として農林登録を受ける。

 「小麦農林10号」の親となっている「ターキーレッド」は、急速な「ロシア化」に不満を持ったウクライナのメノナイト派教徒(キリスト教アナバプテストの教派)が、1874年に米国カンザス州に移民したことにより導入されたものである。一方、フルツ(Fultz)は, 1862年に A.フルツ(Fultz)という農民が米国ペンシルベニア州で「ランカスター」という品種を栽培している畑で見つけて増殖したものである。

 ターキーレッドとフルツ達磨の交配は愛媛県農事試験場で行われ、1926年に埼玉県鴻巣試験場で組織的育種事業を開始するにあたって、愛媛県より雑種2世代(F2)の種子を受けとったものである(稲塚権次郎・浅沼清太郎著、『小麦農林10号の育成と育種学的貢献』、農業技術 第25巻、第4号、pp.170ー174、(1970))。稲塚氏は1938年に北京の華北産業科学研究所に転任になる。

 この「小麦農林10号」を含む24種の小麦の種子が、GHQに農業顧問として1945年12月に来日していた米国農業省天然資源局S.C.サーモン(Salmon)博士によって、1946年7月に米国に持ち帰られる。サーモン博士は、岩手県農事試験場を訪問し、背丈の低い「小麦農林10号」を発見しているが、稲塚氏が中国から帰国したのは1947年である。

 「植物の新品種の保護に関する国際条約」は、1961年にパリで作成され1968年に発効しているが、1972年、1978年、1991年に改正されている。この条約に基づいて設立された国際機関である植物新品種保護国際同盟の仏語略称UPOV(Union internationale pour la protection des obtentions végétales)に因み、「UPOV(ユポフ)条約」と通称される(UPOV条約第24条)。

 日本は1982年に1978年条約、1998年に1991年条約に加盟している。2024年2月現在で、UPOV条約には日本を含む77カ国と2つの地域連合が加盟しているが、1946年頃にはUPOV条約は発効しておらず、日本は加盟していなかった。日本は1978年のUPOV条約に加盟に必要な担保法として1978年に種苗法を制定している。

  P.コロージモ(Kolosimo)によれば、第2次世界大戦後、連合軍の人々は34万件ものドイツの特許を手に入れ、20万件の国際特許を没収したとのことである。しかし、筆者の知る範囲では、GHQが日本から特許を没収したという記録はないようである。通信とレーダ技術に関して、米国はドイツよりも進んでいると判断していた。通信とレーダ技術に関しては、既に戦前に東北大の八木秀次教授がマルコーニ社,RCA社に特許(USP1745342,1860123)を譲渡していたことの寄与が大きい。

 サーモン博士から「小麦農林10号」を受け取ったO.A.フォーゲル(Vogel)博士が1949年に米国品種を交配する研究を開始し、1961年に新型小麦「ゲインズ」を全米の農家に売りに出す。「ゲインズ」により、米国の小麦の収穫高が、4倍に増大した。

 「緑の革命」の推進者として1970年にノーベル平和賞を受賞したN.E.ボーローグ(Borlaug)博士は、「農林10号」の遺伝子を受け継いだ品種は500以上生み出され、世界の小麦の3割を占めると述べている。

§4 発明の評価ができず自国の産業を危うくした過去

  1958年に東北大学の水島宇三郎教授(農学部作物遺伝育種学研究室・初代教授)らは、雌しべの駄目な稲(雄性不稔種)を見つけた。そして、雄性不稔種を用いると多品種との人工交配が容易になり、その遺伝が細胞核にある遺伝ではなく細胞質の遺伝であって交配しても性質が半減しないという重要な知見を得た(勝尾清•水島宇三郎著、『 稲の細胞質差異に関する研究, I. 栽培稲と野生稲との間の雑種および戻交雑後代の稔性について』、 育種学雑誌、第8巻、第1号、pp.1-5、(1958))。
 
 雄性不稔種を用いたハイブリッド米は第1世代(F1)の子に限って収量が得られ、「F1ハイブリッド米」と呼ばれる。雄性不稔のため自家採種が不可能で農家が固定種とすることができないのでF1ハイブリッド米は毎年種を購入する必要がある。

 水島教授と同じ1958年に琉球大学講師新城長有氏(1980年に琉球大学教授)も、雄性不稔性のあるイネ品種をインドの野生種から独自に発見し、研究を重ねた(新城長有・大村武著、『稲における細胞質雄性不稔性の研究(I)―F1, F2および戻交雑後代の稔性と完全雄性不稔個体の分離』、 育種学雑誌、第16巻(別冊1)、 pp.179~180、 (1966))。そして、不稔性を回復させる品種との交配により、1969年に雑種強勢により実を多くつけるハイブリッド米の実用化に成功した。
 
 水島教授や新城教授らの研究業績は日本では注目されなかったが、1970年に野生の雄性不稔種を発見した中国では、袁隆平氏が1973年に独自にF1ハイブリッド米の発明に成功した。袁氏は中国の食料問題解決に貢献したとして1981年に中国初の「国家特等発明賞」を受賞している。そして、袁氏のF1ハイブリッド米は「中国の4大発明(火薬、羅針盤、印刷技術、紙)に匹敵する大発明」と評価されている。
 
 中国は、1958~1962年の間に数千万人が餓死した経緯を有し深刻な食料事情にあった。この危機は、1971年のニクソン訪中でハーバー・ボッシュ(Haber-Bosch)が発明した窒素肥料が渡されたことと、袁氏が発明したF1ハイブリッド米で救われたのである。1991年には中国の栽培面積の約50%、長江以南ではほぼ全域がハイブリッド米となったといわれている。そして、中国は世界最大のコメ生産国になっている。

 なお、米国の大手種子会社リングアラウンド社がF1ハイブリッド米の量産技術を確立し、1983年にリングアラウンド社は日本の農林省に売り込み、当時の国会で「日本の稲の研究はどうなっているか」という質問が出ている。

 我が国は折角良い品種改良の手法を発明しながら、発明の評価ができず、外国に知的財産を奪われて自国の産業を危うくした過去があったことに十分に留意すべきである。
 
     弁理士鈴木壯兵衞(工学博士 IEEE Life member)でした。
    そうべえ国際特許事務所は、「独創とは必然の先見」という創作活動のご相
     談にも積極的にお手伝いします。
              http://www.soh-vehe.jp


 
 

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鈴木壯兵衞(弁理士)

そうべえ国際特許事務所

外国出願を含み、東京で1000件以上の特許出願したグローバルな実績を生かし、出願を支援。最先端の研究者であった技術的理解力をベースとし、国際的な特許出願や商標出願等ができるように中小企業等を支援する。

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