第59回 アベノミクスを特許のデータから検証する ―消費税10%の苦境に如何に対処すべきか-
特許等で冒認という言葉が使われるが、「冒認」の語の意味は国語辞典で調べても分からない。冒認は明治の初期の旧刑法で用いられていた「掠め取る」という意味である。特許において、発明者及びその承継人以外の者により、無断でなされた発明者主義に反する特許出願を「冒認出願」という。冒認の語は、現在の特許法の条文の文言としては存在しない。
§1 明治時代の我が国の特許は先発明主義であった
§2 清瀬一郎博士は冒認の語の使用に反対した
§3 冒認と共同出願違反
§1明治時代の我が国の特許は先発明主義であった
明治時代の日本の特許制度は米国特許法を参考にした先発明主義であったので、冒認という考え方はなかった。しかし、大正10年法において先願主義に切り替えたときに冒認の制度設計がなされた。切り替えに際しては、先願主義を実施していたドイツの制度が参考にされた。
我が国の特許法が制定された1885年より遡る1877年(明治10年)のドイツ帝国特許法(ライヒ・ドイツ特許法)では、widerrechtliche Entnahmeの場合には権利は存在しないとされていた。
思うに、ドイツ語のwiderrechtliche Entnahmeに対応させて「冒認」の語を、大正10年改正特許法の第57条第1項第2号の条文の文言に採用したようである。
§2 清瀬一郎博士は「冒認」の語の使用に反対した
明治13年の刑法第393条には「他人ノ動産不動産ヲ冒認シテ……」という規定がある。明治13年の刑法の前身となる明治3年(1870年)の新律綱領(しんりつこうりょう)巻三の「賊盗律(ぞくとうりつ)」盗賣田宅にも、「……他人ノ田宅ヲ。盗賣。換易。冒認。典賣。スル者ハ。…」の文言がある。「カスメトリ」のフリガナがあるので、冒認は「掠め取り」と読むようである。
明治3年の新律綱領は中国の明と清の律を基礎とするもので、これに757年施行の養老律令と江戸時代の御定書を参酌したものとされている。中国の明代の行政規範や典制について記した『明㑹典卷一』134刑部九の律令には「凡盗賣換易及冐認他人田宅……(他人の田畑、住宅を盗用、売却、交換、取引及び冒認させ……)」と「冒認」が記載されている。
明朝が滅亡した後の清朝の「大清律」は「大明律」を基礎としており、「大清律」にも同様な規定がある。『律」93.00盗賣田宅の規定には「冒認[他人田宅作自己者]』と「冒認」の注釈がある。清朝の時代において、既に「冒認」が死語となり、注釈が必要だったと思われる。
そして、この「大清律」の注釈が、明治7年(1874年)に出版された近藤圭造著、『新律綱領・改定律例合巻註釈 巻3』の「冒認」のところの「持主ノ留守ヲ目掛ケ己ノ扶持也トスル類」の説明の基礎となっていると推定される。
大正10年の特許法案衆議院委員会において、「日本特許法の父」清瀬一郎博士(当時衆議院議員)は、「第10条及第11条に『冒認』の二字あり。此は如何なる意義なりや。多分旧刑法に此文字ありしゆえ使用されしものと思惟するも意義を忘却せり。御説明を望む」と質問している。
これに対し当時の特許局長 宮内国太郎氏は「単に他人の権利を剥窃したるもの或は自から発明者に非らずして権利を主張する者を『冒認したる者』と云う意なり」と回答したが、清瀬博士は、「然らば今御答えの如き言葉を以て之に改められては如何。今日斯る文字は専門家と雖も忘却して其の意を解する能わず。況んや一般普通人に於てをや」と反対している。
しかし、結局、大正10年改正特許法で難解な『冒認』の語が条文に採用された。「冒認」の語は清瀬博士が工業所有権法調査委員長として参画した昭和34年法改正で条文から削除された。しかし、現在も審査基準等で使われている。
§3 冒認と共同出願違反
審査の段階で冒認が判明すれば拒絶理由(特許法第49条第7号)となり、冒認が過誤登録されても無効事由(特許法第123条第1項第6号)となる。
また、冒認と同様、不適法な特許出願として共同出願違反による特許出願が挙げられる。複数人が共同して発明をなした場合、特許を受ける権利の共有状態が生じる。
従って、特許出願は他の共有者と共同でなければすることができないが、これに違反した特許出願は共同出願違反になる。冒認と同様、審査の段階で共同出願違反が判明すれば拒絶理由(特許法第49条第2号)となり、共同出願違反が過誤登録されても無効事由(特許法第123条第1項第2号)となる。
弁理士鈴木壯兵衞(工学博士 IEEE Life member)でした。
そうべえ国際特許事務所は、「独創とは蓋然の先見」という創作活動のご相談にも積極的にお手伝いします。
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