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コラム
恩師を思う
2017年11月9日 公開 / 2021年3月1日更新
11月、霜月。普段は受験が近づき、受験生を鼓舞する記事を多く発信させていただいておりますが、この季節はまた、「喪中」の知らせが届きはじめるときでもあります。
昨夜帰宅すると、中学の3年間、韻文学クラブで短歌をはじめ文学を広く教えて下さり、3年次には国語の授業でもご指導を賜った恩師の奥さまから、先生が2月にお亡くなりになったという葉書が届いていました。やはり、という思いに言葉を失います。毎年いただいている年賀状を、今年は目にしておらず、案じ申し上げていたのです。
5年ほど前、鎌倉で、先生はご自分の絵の個展を開かれましたが、その際、妻とともにお邪魔して、お話をさせていただきました。私自身、直接お目にかかるのは、高校を卒業してはじめてのことだったかも知れません(高校時代に母校の文化祭に行き、当然韻文学クラブの教室に顔を出しています)。先生はその時、「最近は文学からは遠ざかり、もっぱら絵ばかりを描いているよ」と教えて下さいました。しかし、私が短歌あるいは韻文の韻律を学んだのは、このA先生がはじめてなのです。
「韻文学クラブ」ですから、必然と言えるのかも知れません。しかし私にはいま一つ、自分が現在言問学舎で国語を教えていて、このA先生のお教えを如実に感じる瞬間があることを、先生への感謝の思いを書き記すためにも、ここで語らせていただきたいと。
<三代の栄耀一睡のうちにして、大門のあとは一里こなたにあり。・・・>
松尾芭蕉の『おくのほそ道』、「平泉」のくだりの冒頭です。このくだりは私自身、中学生の時から一字一句忘れたことのない、音韻のすぐれた名文でありますが、実はいま、おもに中3生の子どもたちにこのくだりを音読して聞かせるとき、それを読む自分の根底にあるのは、四十年ほど前に中学校の教室でA先生が中3の私たちに読んで下さった、あの音調であることを感じとり、「師」の教えの大きさを身にしみて感じることがあるのです。
もちろん、私もその後四十年以上、いろいろな勉強をし、実際に平泉へ足を運びもして、さらに自分なりの工夫も加えていますから、当時先生がお読みになったそのままの読み方をしているのではないと思います。しかし、子どもたちの心をつかむよう、あるいは心にひびくようにと、思いをこめて音読するとき、私の耳の奥に聞こえているのは、あのときの先生のお声のように思えてならないのです。
また、5年前の先生のお顔をデジタルカメラのファイルの中から探し出し、私が先生を撮影させていただいた1枚を見つめると(ほかに2枚、家内が私と先生を写したものがあります)、四十年前の中学生当時、授業中に「小田原!」と、読解の答えを求める視線を向けて下さったお顔そのままで、嗚咽をこらえることができませんでした。その当時、「小田原は読解力がある」と授業中に皆の前でほめて下さったことも、国語に対しての自信を深めることになった経験として、忘れられません。
私は小さな私塾の教師ですが、私自身に大きな国語の力を教えて下さり、強く生きる道を教えて下さった先生方が私に与えて下さったもの、それを今度は私自身が、一人でも多くの子どもたちに伝えて行くこと、そして子どもたちの国語の力をできる限り伸ばすことで、先生方のご恩に応えたいと思います。そのことを改めて心に誓って、私に国語と文学、短歌の道を開いて下さったA先生に、感謝の思いをささげるばかりです。
先生、ありがとうございました。
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