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小田原漂情

国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師

小田原漂情(おだわらひょうじょう) / 学習塾塾長

有限会社 言問学舎

コラム

3月10日、そして11日

2017年3月10日 公開 / 2017年3月22日更新

テーマ:小田原漂情

コラムカテゴリ:スクール・習い事

  「日付にかかわるコラム(ブログ)」を、ときどき書いて、掲載させていただいております。今日は3月10日、東京大空襲の日であり、明日は東日本大震災の起こった日です。以下の文章は、常体を敬体にあらためることにそぐわないため、言問学舎HPのブログに書いたものを、転載させていただきます。表現が強い点など、何卒ご容赦下さい。


 今日3月10日は、72年前の1945年(昭和20年)、アメリカ軍のB29爆撃機の大編隊による深夜の無差別爆撃で、都内の下町地区が壊滅的な被害を受け、10万人以上の死者・行方不明者を出した日である。10日の夜ではなく、9日から日付が変わったばかりの10日の午前が、空襲を受けた時間帯で、一般にこの空襲を「東京大空襲」と呼ぶ。

 言問学舎ホームページの中でも触れているが(「会社概要」の中の、「言問学舎のゆかり」)、最寄りの本郷弥生交差点から言問通りを東進すると、隅田川に言問橋が架けられている。在原業平の「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の名歌の出て来る『伊勢物語』で一行が川を渡ったのが、このあたりなのかと推察されるが(※)、東京大空襲の夜、猛火に追われてこの橋の上にたくさんの人が避難して動きが取れなくなり、焼夷弾はそこにも投下されて、橋の上で折り重なるように焼死したり、川に飛び込んで水死したりした人のなきがらが、あたりを埋めつくしたと言われている。

 「言問学舎」として「言問」の名を負う以上、私はこのことを忘れぬばかりでなく、ずっと語り伝えて行かねばならぬと、心に決めている。そして戦争は、つねに無辜(むこ)の民に犠牲を強い、大きな悲劇を生む。そのことも、今日(こんにち)ますます声を大にして、伝えて行かなければならないことである。戦後に生まれ、平和な時代に生きて来られた私たちの、それは必然たる責務であろう。

 そして明日は、3月11日である。月並みな言い方ではあるが、あの大きな揺れがつづいた時間のことは、今でも鮮明に覚えている。その日は塾に泊り込んだ。翌日帰宅する際に、海岸の松並木を超えて押し寄せる津波の写真をはじめて目にし、ようやく事態の深甚さを知った時の驚きと悔しさ(解説は省くが、犠牲になった方々のことを思ったその時の感情には、「悔しさ」という言葉がもっとも合っているのである)も、また終生忘れることはないだろう。

 私は文学の中に鉄道を取りこむことを、テーマの一つとしている。その視点から、ずっと不通になっていた常磐線の小高‐浪江間の運転再開が近づき、常磐線全線の再開にも見通しがついて来たことと、当時の沿岸の鉄道各線の状況とを思うと、ある種の感動を禁じ得ないし、関係各位のご労苦には、頭を垂れるのみである。私自身のなすべきことも、半分は終えたが、半分は道半ばにも至っていないことをいま一度ふり返り、ふたたびなすべきことのために行動すべく、誓いを新たにしたいと思う。

 今年は、今日、このことを記し終えて、筆を置きたい。

平成29年3月10日
小田原漂情

(※)その後確認を取り、現在の白鬚橋(しらひげばし)付近にあった「橋場の渡し」とされている(ウィキペディア)、とのことで、訂正します。

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小田原漂情(有限会社 言問学舎)

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