ウクライナの闇
朝から忠霊塔に集まった人たちが黙々と草を刈る
ここは先の戦争で戦死した人たちが祭られているところ
従来8月15日に慰霊祭は行われていたが
ここ数年清掃に奉仕に集まったその日に慰霊際が行われるようになった
中心になっているのは遺児の皆さん
戦死者の親はすでに亡く、兄弟も存命でももうかなり高齢
私の母親も昨年95歳で身罷り戦死した長兄の供養は私に託された
孫、甥、姪などが少数参加している
清掃が終わり慰霊祭が行われた
以前よりずいぶんと簡略されたが
厳粛
皆静かに心から冥福の祈りをささげていることが伝わってくる
私の父親の長兄若山定一と母親の長兄若山征夫の二人の叔父がここに祭られている
もう20年も前に母親から代わりに行ってくれと言われ以来参列している
今年は敗戦から79年
日本国の破局的な敗戦から長い時間が経ったかに思えるが
日本はいまだに敗戦国のまま
広島長崎の原爆や市民への虐殺的爆撃に対するアメリカの謝罪を求めることなく
アメリカの属国のままで、国際的にも内政的にも独立国の体を成していない
静かに黙祷する80過ぎの戦没者の遺児の皆さんの背中を眺めながら
世界ではいまだに、ウクライナで、パレスチナで
戦死者が日々増え続け、
ここにいるような父親を戦争で殺された遺児が遺族が増え続けていることへの
怒りとも諦めともつかない思いが沸き上がる
あれから80年いまだに戦争は止まず、イスラエルは戦争を止めようとせず平和の祭典と言われるオリンピックに参加しているこの馬鹿さ加減はどうだ
ウクライナでも戦争は続く
人類の愚かさを忘れることなく常に思い起こすことが必要だ
だから、遺族会を戦没者慰霊祭を途切れることなく続けていくことの意味がある