草刈正雄のファミリーヒストリー
隣人との付き合い
隣人は選べないし、替えられない。
新たに土地を買って家を建てるとする。土地を買う前にどんな隣人が住んでいるか調べることはできるだろう。しかし良き隣人が引っ越し、悪しき隣人がやってくることだってある。
良き隣人が死亡して後を継いだ者が良き隣人だとは限らない。
ただ家の場合は、どうしてもいやだったら、家を売って他の場所に引っ越す手はある。
だが国家の場合はそうはいかない。
どんなに問題のある隣の国家だからと言って、離れたところに引っ越すことはできないのだ。ではどうするか。
スウエーデン、フィンランドは隣人ロシアを刺激しないよう友好関係を維持しようとした。NATOにも入らず、中立を強調しながら、EUともロシアとも上手に付き合っていた。刺激しないように、機嫌を損ねないように、上手に付き合った。ひとたび機嫌を損ねたら隣人ロシアは何をするかわからない。再び戦車を向けて国境を越えてくるかもしれないから、友好関係を維持してきた。それは国民全員の認識で、国家を率いる政治家たちも共通の認識として、立場思想の違いは関係なく共有していた。
それは政権が替わってもその姿勢に変化はないはずだった。政権は変わっても、隣国ロシアは変わらないのだから。表面上とはいえその友好関係と平和はこれからも維持できるものだった。戦争を回避する努力を国民も政治家も同じ認識のもと、怠ってはいなかった。
ウクライナは違った。
ウクライナはもっとロシアと近い関係にあった。ロシアとの友好関係という観点からいえば、少しの風でも揺れるローソクの火のようにきわめてデリケートなものだった。
デリケートで少しの刺激でも危うい関係なのに、ウクライナの人々も政治家もロシアを平気で刺激した。しかも大きく揺さぶった。後ろ盾の大国にそそのかされたか、絶対に言ってはいけないことまで平気で口にした。それはロシアが最も恐れていた言葉だった。
「我々はNATOに入る」
恐怖は暴力を産む。プーチンはウクライナを再び自分の領土にしなければ自らの安全を維持できないと考えた。
「ソ連が崩壊したときに、ベルリンの壁が崩壊したときに、NATOは東方には拡大しないという約束は確かにあった。そんな約束は口約束で文書に残っていない約束は約束でも何でもないとアメリカがのちにいったのだ。ロシアは、プーチンは、西側にNATOにまんまと騙されたと思っている。」
その選択は、ウクライナの民意には違いない。だがウクライナの人々の民意はいったいロシアに対していったいどれだけ正確な認識のもとに表されたものなのか。それを導いた政治家たちは何を考えてロシアを大きく揺さぶり、大国の後ろ盾をいいことに結果的にあのロシアを脅迫するような選択をしたのか。
彼らが隣国ロシアとの関係をきちんと見つめながら、戦争を回避すべき努力を積み重ねていたのか本当に疑問に思う。
政治家の最もしなければいけない最も大事なこと、それは戦争の回避だ。これは断言する。攻め込まれてから勇敢に戦い、他国から武器や援助を集め、国民を戦争に駆り立てることではない。
隣国は選べない。だからどんな隣国でも刺激しないように友好的に付き合い、平和を維持するべきだ。ウクライナはそれをしなかった。
悪しき隣人は永遠ではないことをきちんと認識するべき。諸行無常は世の常であり、真理なのだから。
西洋諸国とアメリカにそそのかされて、ウクライナは今、戦争をやめられない。