相手を葬り去ろうとする論理
西洋文明のつけ
彼らは自分たちが決してできはしないことをしたり顔で平気で厚顔にも説教垂れる。
自分たちは先進国で君らは後進国で、人権も自由もない。だから我々が手を貸さないとだめだという。
グローバルサウスの人々は言う。あなたたちにそんなこと言われたくはない。あなた方が我々にいったいどんな事をして来たか、もうお忘れか?
現在の世界の混沌の原因を作ったのはまさしく西洋先進諸国の蛮行の数々だ。
ウクライナへのロシアの侵略もプーチンのNATOへの恐怖からだろうし、ユダヤとパレスチナの先の見えない争いもみんな西洋諸国がその原因を作っている。
中国の対外政策の強硬な態度も、清の時代に西洋諸国から侵略された苦い屈辱的な歴史があったからに他ならない。
日本が長い平和を享受し、茶の湯や生け花を軽やかな数寄屋建築の中で楽しんでいた時代に、船に大砲積んで世界中をまたにかけて荒らしまわっていた西洋文明のつけがいまだに世界中のあちこちにこびりついて清算できていない。
あの当時日本のことを遅れた野蛮な国だと西洋人は言っていたのだ。高度な奥の深い精神文明を西洋人は理解できないでいたのだ。それはいまだにそうなのかもしれない。
人類を救うのは東洋的な精神文化、立場や考え方が異なっていても、互いの寛容と寛容でそれぞれの存在を認め合うような世界観が必要なのではないか。
かつて岡倉天心は「茶の本」を通して、西洋文化と東洋文化を比較しながら、東洋の精神文化を西洋に知らしめようとした。
うまくいったかどうかは私にはわからないけれど、いま世界を救うのは東洋の精神文化ではないか。
神様を比べあって、どちらがえらいんだと争い殺しあうようなバカげたことをいつまで人類はやるんだろう。どっちもどっちだと早く気が付くべきではないか。
不寛容の精神で世界を覆ってしまった西洋文明のつけは重く大きい。