太平洋戦争 遺族 戦死
関東大震災と東京タワー
関東大震災から100年。TV新聞でいろいろな報道があります。
鎌倉は地震そのものからの被害はとてもひどかったところで、大仏が前方に1尺もずれたそうだ。前に滑ることで転倒を免れた。その免振の知恵は現在の大仏にも生かされている。そんなことも今回初めて知った。
関東大震災で東京が壊滅したにもかかわらず、内藤多仲という人の設計した建物の多くが無傷であった。そのため震災以後、内藤多仲に多くの設計依頼があり、特に塔などの設計を多く手掛け、塔博士とも言われた。
それで、東京タワーを作ることになった時に、内藤多仲はその設計を任された。
私がまだ学生だった頃、東京タワーの建設のビデオを見る機会があり、内藤多仲先生と思われる人が計算尺で構造計算をしている映像を見た。
東京タワーは計算尺で構造計算され、手書きで一万枚もの図面が描かれ、造られた。
学生時代の講義の内容は覚えているはずもないが、そのビデオの映像だけはよく記憶している。
とび職人が地下足袋をはいて、丸太の足場を組みながら、リベットを赤く熱して放り投げ、空き缶で受けて現場でたたいて鉄骨の部材を組み立てた。
竣工は昭和33年、関東大震災から35年後、敗戦後13年のことだ。
東京タワーは、昭和の、戦後の復興の象徴だった。
小学校の修学旅行で、私も心躍らせて東京タワーに登った。
その東京タワーは東日本大震災で長い周期の地震動にゆすられて、頭頂部がくの字に曲がった。けれど塔本体は無傷だった。
再び東京が直下型の関東大震災級の地震に襲われた時に、東京タワーはどんな風にその揺れに耐えるのだろう。
真下からこんなふうに見上げることが出来る。愛しの東京タワーです。