相手を葬り去ろうとする論理
草刈正雄の ファミリーヒストリー
草刈正雄の人生は戦後の日本の悲哀そのものだ。
彼は自分の人生の悲哀をNHKのテレビに公表してよかったのか?
こういうことを受け入れることもある俳優という商売は、華やかのように見えるけれど我々が知る由もない暗い内面が同居しているのかもしれない。
草刈正雄は日本の有名な俳優だから、アメリカの親族は返事をよこしたのだろう。そうでなければ、自分の身内が、敗戦国日本で、現地の女に子供を産ませて本国に逃げ帰ったなどという事実を認めたろうか。
日本の女と産ませた子供を捨てて、彼は軍隊での自分の昇進を選んだ。
日本の女に対して彼はどこまで本気だったか。
日本人の女との間に子供が出来たら、軍の中での立場は、評判はどうなったろうか。将来は?
彼は本国に帰った。何もなかったこととして。
苦悩していたようだ。
彼の姉はドイツへ行くことを進める。トンヅラか?
彼はトンヅラした。ドイツに逃げて、そしてドイツ人と結婚した。
その後、日本の女と、その子供のことは、忘れたかのような人生を歩んだらしい。
進駐軍の兵隊との間に子供が出来て、その兵隊は本国に帰って音沙汰なし。
でも子供はもう産まなくてはならない。
親戚にも誰にも言えない。誰も頼れない。
草刈正雄の母親の心情を思うと息苦しくなる。
何度子供を抱いて電車に飛び込もうかと思った、と母親から聞かされたそうだ。
母親の愛は深くそして強かったんだろう。
草刈正雄はそんな母親に育てられた。
父親は朝鮮戦争で死んだと聞かされていて、何もかも捨ててしまったのだと母親は言っていた。写真も手紙も焼いてしまった。何も残っていない。
父親は私たちを捨ててアメリカに逃げてしまって音信不通なのだと、どうして子供に言えよう。
実は、その父親はついこの間まで、生きていた。
これを番組にするかなあ。
劇的だけれど、一人の人間の人生をここまでさらしていいのかなあ。
草刈正雄は、でも番組にすることを承諾する。
そして、アメリカまで、自分と母親を捨てて知らん顔していた父親の姉に会いに行く。
草刈正雄さん、あなたはすべてを許したのか。
草刈正雄という俳優。美の壺。を見る目が私は今後変わる。
草刈正雄ではない、同じような境遇を戦後生きた人たちは数多く存在するだろう。
中には成長する前に、母親に抱きかかえられて電車に飛び込んでしまった人たちも多くいるだろう。
でもこれが現実。日本という国は敗戦国として、戦後も多くの国民が戦争の後遺症の中に生きてゆくことを内包していた。そしてそれはまだ終わっていない。
敗戦国日本を見つめることを止めてはいけない。