相手を葬り去ろうとする論理
戦場で死んでいるのは、普通の若者たち。
ウクロイナもロシアも死んでいるのは兵士達だ。
戦争は長引けば長引くほど、戦場で若者が死んでゆくということ。殺し合いを何でやめられないのか。
プーチンもゼレンスキーもバイデンも。戦場での死者のことをまず考えろ。
正義の戦争などと馬鹿なことを言っているんじゃない。すぐに殺し合いをやめろ。
日本軍の兵隊 若山定一の場合
これは私の父親の長兄の戦死の状況です。
本籍静岡県。大正9年1月26日生まれ。
昭和16年12月1日第一補充兵役に編入。
昭和17年4月10日教育召集により出征。歩兵第135連隊第2中隊に応召。
7月22日宇品港出発。
7月26日上海沖通過。
7月29日安慶着。
8月2日香口着。同日より香口付近警備。
8月16日香口発、同日殷家雁着。殷家雁地区の警備。
昭和18年6月6日家嶺発、同日池州着。池州地区警備。
6月27日、B型パラチフスにより大通第2野戦病院に入院
8月8日退院。
9月19日、池州発、懐寧県洪家舗着。同地区警備。
昭和19年1月24日移駐のため安慶終結、29日安慶出発。
2月2日、湖北省武昌県武昌着。塘小池地区警備。
4月18日、塘出発。
5月2日、湖北省洪陵県郝穴着。
5月16日、郝穴発。
5月25日、湖南省岳陽県新開塘付近集結。
5月27日、湖桂作戦。
7月27日、三枚橋付近の戦闘において戦死。
現認証明書には、中華民国湖南省衝陽県松水塘西北一キロ三枚橋付近とある。
敵チェッコ弾による、と書かれている。
傷の状況も記載がある。
戦友の手記、および話によると、初年兵が軽機銃を撃ち始めたところ心もとなく手本を示そうと代わって打ち始めたところ被弾したとのこと。戦場では機銃は狙われる。
チェッコ弾とはチェコ製の機関銃のこと。
その場で死亡し、戦闘中でとどまることが出来ず、やむを得ず手首を切って草に包んで腰に結び付け転戦。のちに荼毘に付したという。
享年25。
地図で見ると、上海から揚子江をさかのぼり、中国大陸の内陸部もかなり奥のところ。
グーグルマップで、松水塘という地名を確認できる。
叔父の亡骸は戦場に残され、ほかの戦死者ととともにどこかに葬られたのだろう。