一国の大統領をののしる政治家の言葉
ウクライナでの現実の戦争を毎日見ながら、かつての日本のことを考える。
戦っているのはウクライナもロシアも普通の若者たちで、戦場で殺し殺されているのもごく普通の若者たちなのだということ。
これは、私の母の長兄の軍歴です。
本籍静岡県。大正10年10月生まれ。
昭和17年4月10日に召集を受け出征。高射砲第1連隊に配属。防空作戦のため沼津派遣隊に編入。
昭和17年12月、名古屋にて防空任務。
昭和18年8月、野戦機関砲第37中隊浜松残留隊に転属、浜松にて衛戍勤務。
9月4日、宇品港出帆。第8方面軍の隷下に入る。
9月12日、南洋諸島パラオ島マラカル到着。アイライに駐留。
9月29日、アイライを出発、同日よりホルランジャ第一次輸送作戦に参加。
10月6日、ニューギニアホルランジャ上陸。防空警備にあたる。
10月18日、ホルランジャ出発。
10月20日、ウエワクに到着。同地の防空警備にあたる。
11月1日、第18軍の隷下に入る。
昭和19年8月8日、バロンにてマラリア発病。
12月9日、ニューギニアカラサイ島にて戦病死。24歳。
以上は私の母の長兄の軍歴。
第37中隊の略歴を見ると、18年の10月から19年の4月までウエワクにて防空戦闘。
19年5月から12月までボイキン沖カラサイ島にて防空警備となっているので、カラサイ島にわたって、その8月にマラリアに罹ったことになる。そのままカラサイ島で戦病死したのだろうか。
たぶん私の叔父は、このカラサイ島のどこかに葬られているのだろう。
叔父はニューギニアのどこかで戦病死した事は知らされていた。けれどどこでどうなってしまったやら皆目わからないとしてこれまで来た。戦後77年たってその最後を迎えた地がニューギニアのどこなのか、ついに特定できた。
グーグルアースで小さな島を見ることが出来る。ニューギニアカサライ島。
軍歴を問い合わせるということをもっと早くしておけばよかったと後悔する。