心を辛くする「悪い思考」をやめてみる
今日は「家族」についてお話しします。
皆さんは、家族のイメージってどんな事が思い浮かびますか?
私は25歳で父を、26歳で母を亡くしました。そのせいか家族に対する思い入れは強い方だと思います。
家族のイメージは、「絆は強く」「仲良く」「親の望む事、子の望む事をするのが当然」「助け合うもの」こんな風に思っている方も多いのではないでしょうか。
でも、カウンセリングをしていて感じる現実は、そんな風に思えず「憎んでいたリ」「嫌悪していたリ」「支配していたリ」「依存していたリ」結構厄介な存在と思うような事の数々です。
縁を切りたくても切れないし・・・
忘れたいのになんだかとても気になるし・・・
「家族なんだから、隠し事なんてしないのが当然。本音で話すべき.」
「家族だから、一緒に出掛けるのは当然」
「家族だからこうしてくれて当たり前」
などと強いこだわりを持って接してしまう事もあります。もちろん家族みんながそう思っているのなら、それはそれでよいのですが、自分の気持ちとは違い、さめているような家族に腹が立ったリ、許せなかったり、強い感情を抱いてしまう事も多いようです。時として家族は他人より厄介な存在になります。
以前、刑事さんにお話を伺った時、家族間の事件はとっても多いと言っていました。「家族だからこそ」の強い思い入れが逆に強い憎しみに変わることもあるようです。
でも、これまで何度もコラムで書いたと思いますが、自分と同じ価値観の人はなかなか存在しません。ちょっとずつ、ちょっとずつ、ずれているのが現実です。それは家族の間でも同じです。たとえ自分から生まれてきた子供でも、全くおんなじ価値観という事はなかなかありません。それぞれの意志があります。
「家族だから」
「夫だから」
「妻だから」
「子供だから」という枠を外してみましょう。
この「・・・だから」「・・・すべき」「…であるべきだ」という思いは、時には相手を否定したり、傷つけたり、縛ったりと苦しめる原因にもなってしまいます。家族だからこそ「代わりにしてあげる」、「転ばないよう注意してあげる」のではなく、相手を尊重して相手が何を感じ、何を考えているのか認め、耳を傾ける事が大切なのです。
カウンセリングには、家族の呪縛に苦しむ方がたくさんみえます。大切な家族がお互いを苦しめる存在になるのは悲しい事です。愛情があるからこそ、転ばせたくはないからこその強い思いが、お互いを苦しめる時がある事を理解して、時には見守り「相手が助けて欲しいとサインを送った時にだけ手を差し伸べる」程よい距離が必要だと思います。
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