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1910年(明治43年)7月に、大阪「天満橋」に「木造ビザンチン様式」の聖堂が建立され、「大阪生神女庇護聖堂」と名付けられました。
この聖堂は先に1908年(明治41年)に建立された「松山ハリストス復活聖堂」(関東大震災後東京に移築)と同様、日露戦争のロシア戦没者を記憶するため、「ロシア」の「ハリスティアニン兄弟姉妹」の献品、献金により建立されたものだといいます。
しかし、1945年(昭和20年)6月に「大阪生神女庇護聖堂」は戦災により焼失しています。
その後、1962年(昭和37年)4月、大阪「吹田市」の現在地に「ビザンチン様式」を取り入れた「鉄筋コンクリート造」の「大阪生神女庇護聖堂」が再建されています。
大小あわせて六つある鐘楼の鐘は、1910年(明治43年)に「モスクワ」の「イオアン」「アンドレエイチ」「コレスニコフ兄」によって大阪「天満」の聖堂に献納され、そのうち2つは戦時中に供出したため新たに鋳造されたようですが、1910年(明治43年)の建設当時のものとして現存する唯一のもので、今も祈りの時を告げています。
(讀賣新聞:2015.05.12夕刊)
タウ・プロジェクトマネジメンツ一級建築士事務所