結果が先-原因が後?
最近、一見普通に思える若者によって7才の女児が命を落としたり、元市会議員によって6才の女児が命を落とすなどの痛ましい事件が起きています。
このような事件に接すると、おおかたの人は、犯人に対して、周りの人達のことを考えないのか! 後先のことを考えないのか! などと思うのではないでしょうか。
一般の人にとって、犯人の心理は計り知れませんが、少なくとも、周りの人達のことを「考え」たり、後先のことを「考え」れば、どのような理由があっても、このような事件に手を染めることは想像できないと思います。
表題は、少し前に、ある会社から依頼された社内報用に執筆したコラムのタイトルですが、予めて「思考生活」の大切さを感じるため、今回は、その一部を掲載したいと思います。
… 日常生活において、ネットで好みの写真を見つけた場合、何の問題意識も持たなければ、安易に自分のブログに貼り付けてしまうかもしれません。しかし、普段からニュース等により、ある程度の情報を持っていれば、他人の著作物を盗む犯罪行為に相当することは容易に認識できます。したがって、形のない(目に見えない)ものに対する捉え方は、その人の人生をも左右しかねません。
ところで、生物には生き抜くための固有の武器が生まれつき備わっています。例えば、弱い動物は強い動物から逃げる「足」があります。人間の武器は「思考力」です。したがって、普段から「思考力」を鍛えることは理に叶っています。何も難しいことを言おうとしているわけではありません。普段の日常生活でも、例えば、ニュースを見たとき、もし自分だったらどうするか、という「思考」を習慣づけることが大切であり、「思考」の習慣は、自らの「自信」や「問題解決力」を向上させます。
確かに、他人と同じことをしていれば、何も「思考」する必要はなく、困ることや悩むこともあまり生じませんし、自ら責任を負うこともありません。表面的には、いちばん楽な生き方になるかもしれません。しかし、この習慣は、平時に通用してもイザというときには通用しません。
最近、異常気象が定着したせいか、台風、猛暑、地震等の災害が増える傾向にありますが、このような事態に遭遇した場合、瞬時の「思考力」が生死を分けることに繋がります。また、個々人にとっても、事故や困難な状況に遭遇することがありますが、このようなとき、目の前の状況に応じた適切な「思考」が人生の方向を決定付けます。
生まれながらに持っている人間としての固有の武器である「思考(思考力)」を、普段から錆び付かないよう磨いておくことは、決して無駄になることがないと思います。なお、「悩むこと」もある意味「思考」と同じステージといえます。このような誰でも持っている大切な「思考力」を、イザというときに有効に使えるかどうか、皆さんも改めて自らの「思考生活」を考えてみてはどうでしょうか。