「謝る」 ということ
「地震は テレビの中のことだと思っていた」
これは、熊本で被災した人の言葉だ。
きっと、本当にそう思っていたのだと思う。
「危ない!危ない!」 といわれていたのは 「南海トラフ」 だったし
熊本は今まで地震がほとんどなく、地元では 「地震がない」 ことをセールスポイントにして
企業誘致をしていたくらいなのだから。
東日本大震災で被災した東北の惨状を目にしても、それはやはり 「テレビの中のこと」
そう思ったとしても、それはきっと無理のないことなのだ。
そうした何の構えもない中に、最大震度7の強い揺れが、たて続きに2回も住宅を襲い、
火山地域の地質が地滑りを招き、市街地から山間部までの広い範囲に被害を及ぼした。
4月14日の前震で9名、16日の本震で40名の方が亡くなり、いまだ行方不明の人もいる。
車中泊でのエコノミークラス症候群などを含め、震災関連死の疑いがある人が19名にのぼるという。
熊本地震から、1か月
その熊本地震から、1か月が経った。
5月14日付の新聞によれば、電気は4月20日に、ガスは4月30日にそれぞれ復旧したが、
水道は、いまだ2700戸で断水が続いているという。
一時は18万人を超えた避難者は、1万人ほどに減ったというが、
まだまだ、生活や産業に深く影を落とす状況が続いている。
東日本大震災を振り返る
東日本大震災の時はどうだったろう。
当時のことを思い出すべく、私は5年前の手帳を開いた。
手帳には当時のことが、細かに記されている。
私の住む所は内陸で、津波の被害がなかったこともあり、
震災4日後の3月15日の夜に電気が、17日の午後に水道が、4月4日にガスがそれぞれ復旧した。
どれも、他県ナンバーの車に乗った方たちが、昼夜を問わずに力を尽くしてくれた。
皆、黙々と作業をして、帰り際には 「頑張ってください!」 と声をかけてくれた。
本当に 「ありがたい」 と胸が熱くなったことを、今でも思い出す。
更に、いま熊本で思うように進んでいないと言われている 「家屋の罹災証明」 は
我が家では1か月以上経った4月15日に申請し、調査員による判定調査が行われたのは5月18日。
そして、罹災証明書が発行されたのが5月27日。震災から2か月半が経っていた。
今こそ 東日本で学んだ知恵を 総動員する時
もちろん、東日本大震災と今回の熊本地震を単純に比べることはできないが、
今こそ、東日本大震災で私たちが学んだ知恵を、総動員する時だと思う。
何か、参考にしてもらうことはないか。少しでも、役に立つことはないだろうかと。
今回も、全国各地からたくさんの人たちが、ボランティアに参加している。
東北からも、たくさんの人が行っている。
被災地に行けない私は 「募金箱」 を見つけるたびに、せめてもという気持ちを込める。
小さい事ではあるが、今自分ができることをしていきたいと思う。
被災地の皆様、心からお見舞い申し上げます。
どうか、お身体をお厭いくださいますように。
穏やかな日常に、一日も早く戻ることを、心から祈っています。
熊本地震 関連記事はこちら
「被災2世帯に 市営住宅提供」 http://www.stage-up.info/person/cat1/2-3.php