令和6年能登半島地震 防災から見る「銭湯」存続の有り方
所用があり空路で都内へ。
羽田空港で開催されていた「北陸応援」を見つける。
空港は沢山の利用客で混雑していたが、このイベント会場には人影は見られない。
販売スタッフのみで展示されている物産も、あまり売れていない様子。
「能登半島地震」といっても、時間の経過かと共に忘れられていくのであろうか?
それとも、地域によって認識の違いであろうか・・・
テーマ:令和6年能登半島地震
所用があり空路で都内へ。
羽田空港で開催されていた「北陸応援」を見つける。
空港は沢山の利用客で混雑していたが、このイベント会場には人影は見られない。
販売スタッフのみで展示されている物産も、あまり売れていない様子。
「能登半島地震」といっても、時間の経過かと共に忘れられていくのであろうか?
それとも、地域によって認識の違いであろうか・・・
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