どうする家康「京都・方広寺鐘銘事件」
(※向こうに見える橋は五条橋で、義経と弁慶が出会った場所である)
写真は、京都市内を流れる鴨川のほとりにある「ある河原」。
実は、この河原は古くから時の権力者に反抗した、多くの政治犯達等が処刑された場所。
大河ドラマでも放映されていた、関ヶ原の戦いに負けた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊
は京の街中を引き回しの上、この場で処刑され後、三条の河原でさらし首となっている。
大阪の夏の陣では、敗北した豊臣秀頼の子(秀吉の孫)である、豊臣国松が享年8才で
同様に処刑されている。
遡ること、平安末期の保元の乱、平治の乱、治承寿永の乱・・でも敗者が処刑されている。
本能寺の変の後、秀吉軍に山崎の戦いで負けた斎藤利三(春日の局の父)もである。
令和の今の時代から見ると、「兵どもが夢の跡」のようだ・・・
※向こうに見える橋は五条大橋で、義経と弁慶が出会った場所である。