なるほど、なるほど
羽咋郡志賀町大島の海沿いに、人知れずひっそりと建つ石塔があります。
大島諸願堂と石塔群
その石塔は「大島諸願堂」と呼ばれ、今からさかのぼること約500年前、室町時代に肥前大村(現在の長崎県大村市)の、船持武太夫の息子が乗った船がこの能登大島沖で難破し乗組員全員が亡くなるという海難事故がありました。
武太夫ははるばる肥前大村よりこの地能登大島を訪れ、その供養を行うために肥前より石材を運び、この大島の地に「大島諸願堂」を建てたそうです。
この「大島諸願堂」は六角形で高さ約3m、6面の碑のうち5面には地蔵菩薩が彫られ遠い故郷長崎を向く西側には五輪塔が刻まれています。
この大島諸願堂の近くに、意冨志麻神社(おおしまじんじゃ)があります。
毎春のお祭りでは地元若者たちが神輿を担ぎ、声をかけながら、この諸願堂を3回まわるという伝統行事も、いまもなお受け継がれています。
意冨志麻神社(おおしまじんじゃ)の祭神は、九州宗像に起源とする「宗像三女神」で昨年世界遺産に登録された「神宿る島」宗像・沖ノ島と同じ祭神です。大陸との往来が活発だった約1,800年前の頃、航海の無事を祈る国家的祭祀が営まれた「神宿る島」宗像・沖ノ島信仰が、はるか遠い能登にたどり着いたと考えられます。
志賀町大島地区の海岸
福岡県には、志賀島、大島という地名が今も残っています。またその地域の住人の苗字がこの能登志賀町大島地区でも多く見ることに驚きを感じます。
輪島の海女さんは同じように宗像地方がルーツであることを考えると、その交流が盛んであったことも想像できます。
私たちの周りには、まだ詳しく知らされていない「悠久のロマン」が数多くあるようです。
最後に・・・今年は能登立国1300年にあたります。
(写真はいずれも筆者撮影)