固定概念を捨てる
「うまくいかない」は発想の宝庫
「うまくいかないんです」
「生まれてこの方〇〇ができたことがないんです」
「やってみたけど痛いんです」
私のところに来てくださる方は
本当に困って切実な思いで来てくださる。
私自身もお会いしてみないと
その切実な思いに応えられるかどうかはわからない。
ただお聞きしてみると
その人の状態がなぜそうなっているかの
ある程度の仮説は立てられる。
おそらくこうなっておられるだろう。
そうであれば、違うこの部分もこんな感じだろうし
ご本人が気づいていなくても
こういうところもおありだろう。
実際にお会いしてみると、ほぼそれは当たっている。
自分がその人にお会いして、感じられたことから
その人に伝わりやすそうなところから
アプローチしていく。
「うまくいかない」ので、あきらめてしまっている方もあるが
あきらめるほど、たくさんの「うまくいかなかったこと」を
経験されているのであれば
「うまくいかなかった」やり方を一旦捨ててしまえばいいと
私は思うのだ。
そのままの状態で100年やっても、うまくはいかない。
「うまくいかない」状態の人は、頑固に「いまのそのまま」で
何とかしようとしている人も多い。
縦のものを横にもしないで何とかしようと思っても難しい。
「こうすればうまくいく」というのを忘れる。
全く真逆のことをやってみるとわかることがある。
力が入っているところがあるなら、思い切ってもっと力を入れてみる。
そうするととっても嫌な感じがする。
どこがどう嫌な感じなのか知ってみればいい。
自分の「嫌な感じ」はとっても正確に嫌なところを伝えてくる。
とっても嫌になったところで、自分なりに力を抜いてみたらいい。
そうすると、「あれっ!?」というほど
抜けた感じがわかる。
怪我している時にはお勧めしないが。
「膝を曲げる」と膝が痛い、腿が痛いというとき。
壁に曲げた膝をつけておいて
つけたまま引いてみる。
どういう角度で、どういう方向に引いたらいいか
試してみる。
操作するのは脚ではないから、自分なりの痛い時の対処が
わかってくる。
「うまくいかない」
「とってもきつい」は切羽詰まっている。
だからこそ、自分の状況を知ってみて遊んでみる。
何か活路を見出そうと必死にならないで
真剣に遊ぶ。
必死になっているときは視野がとっても狭くなっている。
遊んでみると、余裕ができる。
遊んでみて初めて見えなかったものが見える。
これ以上ひどくはなりようがない状態なら
怖がらずに遊んでみると
気づくこともある。
思い方次第で、「うまくできない」状態は
「うまくいく」発想の宝庫になり得る。
これは自分自身が経験してきたことである。