レッスンは自我を捨てていくこと
一生懸命しているのになぜできないのか?
こんなに一生懸命やっているのに
どうして思うようにならないんだろう?
どうしてなかなか覚えられないんだろう?
どうして「違う!」と言われるんだろう?
こんなふうに悩む人は多い。
この気持ちはわかる。
どんなことにも経験がいる。
慣れてくれば少しずつ、いろんなことが身についてくるが
似たようで違うケースもある。
「あっ!これは前にやったこれね!」
と早とちりして、するべきことの目的をずらして、違う方向に向けてしまうことがある。
自分では一生懸命やっていても、プロセスも方向も違う。
それに気づくことが出来なくて、悩む。
教えてもらったことを自分が知っていることに
勝手に変換してしまうと、身につくはずのことが覚えられない。
しっかりとらえても、自分がやりやすい方に、自覚なく少しずつ変えてしまったり
あれっ?変だなと思うが
頭が「これはこうだ」
と、頑なに思い込んでいて、自分の頭が固まっているのに気づかない。
一生懸命見ているのだが、頭の方が決め込んでいるから
自分がやっていることとの違いが見えない。
一旦覚えて見についたはずのことの上に重ねてやってみることが出来ない場合もある。
ここはこう、OKこれね!
次は・・と次のプロセスに移る時に
自分がOKを出したことを忘れて、つながらない。
これを忘れずにつなげるのも練習であり、経験になる。
能力がない、才能がない
歳だから、固いから・・
そんなふうに、できない理由を付けて納得させるのじゃなくて、
違う言葉で出た、自分の知っているよく似たことととは
一旦切り離して
整理して、自分の中に入れる練習が必要なのだと思う。
知っていることは知らないより素敵だが
知っている「あれ」ではないと思ってやってみることで
意識が変わる。
体で覚えることを頭で代替わりさせない。
頭も体もバランスよく使って
ようやく腑に落ちた感覚になる。
体の固まったところを通してやる作業と同じで
頭の方もほぐしてやって、当たり前に受け入れられる土壌ができて
体の変化は進んでいく。