体の感覚は恋愛に似ている?
身につくものは、時間をかけて確実に知り得たこと
どなたも、いろんな願いを持って、レッスンに来られる。
「今のしんどい現状を少しでも楽にしたい」
「今できないことが、何とかできるようになりたい」
「昔は出来たものが、もう一度できるように」
どれも気持ちがわかるから
どなたにもよくなって頂きたいと思うが
焦って、1日でも早くできるようにと思いだしたら
竹に枝をくっつけたように不自然なものなってしまう。
最近読んだ本で、こんなものがあった。
ある酒造メーカーの宣伝部で活躍した青年が
不祥事で、地方の営業部に飛ばされた。
少しでも早く成績を上げて、こんな田舎とはおさらばして
元の花形部署に戻りたいと焦るが
うまくいかない。
失敗を繰り返しながら、地元の人たちと付き合い
自分が知らず、想像もしなかった現場の苦労や楽しみを知り
そこでできることを考えてするうち
早く戻るために成績を上げることから
無心に現場に貢献すること、自分にできることを考えることに
喜びを見いだしていく。
数年後にその手腕を認められて、元の部署に戻る時には
そこから帰ることに淋しさを覚えるようになり、ものを見る目が変化し
以前の自分とは全く違っていることに気づく。
体のことも同じだ。
一瞬でわかることもある。
が、それが自分の体の確実な感覚として身につくには
時間をかけて、丁寧にそれが合っているのか、違っているのか
繊細に試行錯誤しながら、繰り返して体に覚えさせなければ
自分の血肉にはならない。
単に貼り付けたものは、簡単にはがれ忘れる。
こんなことをしてたらおばあさんになってしまう、と
いいとこどりをしていくと、思うように使える体とは程遠い。
踊りに展開しても、薄っぺらく芯のないものになる。
見たくなかった「この言うことを聞かない体!」を
直視して、いいところも悪いところも知ってしまえば
その体が一つずつ覚え、できていくのを感じるのは、楽しいことになる。
「楽しい!」と思えれば、時間のたつのは早い。
結局は丁寧に心を向けて、時間をかけてきたものが
確実に自分のものになっている。
さらっと通ったものは、するっと通り過ぎる。
確実にしたければ、じっくりゆったり入れていく。