レッスンは自我を捨てていくこと
「ほんのちょっとの差」をどう考えるか
いろんな体の悩みを抱える人たちとお会いして来て思うのは
うまくいかないことと思うようにいくこととの違いは
実際には「ほんのちょっとの差」
海と山ほど違いはしない。
「ほんのちょっと」がひとつでなく
あっちにもこっちにもあるから
それらが連動して、ほんのちょっとなのに
「思ったようにできる」ところまでは果てしなく遠く感じる。
ところが「ほんのちょっと」がいくつか
自分自身で違いを正せるほど
体に入っていくと
「全然ダメ」
↓
「ちょっとまし」
↓
「かなりまし」
↓
「自分で感覚がわかる」
↓
「他のところもつながってきた」
となっていく。
「ちょっとまし」でも希望が生まれる。
「かなりまし」では、すごく楽しくなってくる。
「自分で感覚がわかる」とものすごく楽しい。
「他のところもつながってきた」としたら
面白くてたまらなくなる。
できることが飛躍的に増える。
そこからは、自分自身でも創意工夫できるようになってくる。
この「ちょっとまし」くらいの差ならやっても意味ないよと考えると
不具合を我慢しながら暮らしていくしかない。
ところが、この「ちょっとまし」が
いい方向に向かう人と変わらないどころか、どんどん悪くなっていく人との境目になる。
蟻が大きな階段を上っていくようなものだ。
初めは平面を行くが、なかなか垂直の面には上れない。
垂直の面を上る時にはただの1段目だが
観察して、自分を見直し、やり方を変えて試行錯誤した蟻は
方向を変えて上がれる力がついている。
上に上がれないから諦めるといつまでも1段目の平面。
諦めないで垂直面を上がった蟻は2段目にいて
次の垂直面を上がっていく。
「ほんのちょっとの差」を大事に繰り返した蟻は
以前の蟻ではない。