激励と叱咤の間
心と体の方向付け
人が体を動かすことを始めたり
うまくいかないことが出来るきっかけをつかみたいと行動する時の
動機は人によって違う。
前向きにもっともっとと考えている人もあれば
自分の体やその時の心理状態に
焦りや不安、突破口のない行き詰った気持ちを
払拭したくて、動き出すことも
行き先のわからない漠然とした頼りない気持ちから
踏み出したくて・・という人もあるだろう。
誰にも約束された行き先はない。
後ろを振り返れば来た道筋はついているけれど
前を見れば、まだ道はない。
道はないけれども
その時の自分の状況によっては
まだ見えない先に光が灯って見えることも
あっちにもこっちにも道があるように見えて迷う時も
真っ暗で何も見えない時もある。
だから留まっている人もいる。
自分が何をしたいのか本当のところがわからなくて
しばらくは留まったとしても
留まり続けると、それでも良い気分になってしまう。
それもその人の選択ではあるけれども
その人が心から望んで、そこにいるのでなく
致し方なくそこにいるのであれば、いずれ八方塞がりになる。
本当にそれでいいのかどうか心許なくても
これと決めた方向に進みだすと本当にそれでいいのかどうか
自分の心の中で問うことも
これだと思うことも、いや違うと思うことも少しずつ感じられるようになってくる。
戻って道を変えてみることも
そのまま進むことも、戻って留まることもできる。
人の心の動きはずっと同じではない。
違和感を感じたり、息苦しくなったり
逆にスッキリと心が冴えることもある。
ずっと同じでないからこそ
行きつ戻りつ、心と体の方向付けをしていくのだろう。
見えない道を進むのに悩んでも当たり前。
悩んで考えながら、ひとつずつ動いていくから道が出来る。