激励と叱咤の間
大人は自分自身に置き換えるレッスンを
今日は別のことを書く気でいましたが
たまたま東京のWSにおいで下さった方からのメールを見て
ちょっと思ったことを・・
WS後に自分がいつも行かれるレッスンに行かれたそうなのです。
自分が私のレッスンで感じたことを実践したくて。
ちょうどテーマも似通っていて
おさらいしようと思われたそうですが
とても素晴らしい素敵な先生なのだけれど
ものすごくペースが早くて、頭がついていかなくて
パニックになりそうなのを
自分なりにポイントを決めて
レッスンをされたそうです。
そうされたら、レッスン後にとても褒められたと言うことでした。
言われるがままでなく
そこに自分がしようとすることを忘れないでする。
先生の言われるまま、自分の考えなしにそのままするのでなく
先生が言われる
↓
自分の言葉にして自分の体に指令を出す
↓
実践
と言う経過を踏むことです。
これが私のレッスンだとしても、その人に100%シフトできたものではないのです。
その人、その人が持っているオリジナルな体の成り立ちや経験値や
感覚と、先生の感覚はきっちり、=ではないのですから
受け止めたことを発展途上の自分に置き換えて通訳するような作業がいると
私は思っています。
その通訳が適切でなく、独りよがりな時は
厳しい注意を受けるかもしれませんし
うまく行かないかもしれません。
でも実践するのは自分の体を通してです。
レッスンの成果を受け止めるのは自分自身です。
あくまで先生は、どんな素晴らしい先生でも
自分と一体ではなく、
上達していくためにサポートして下さる存在です。
盲目的でなく、自分の考えを持ってレッスンしなければ
自分が納得できる体にはならないし
感性も育ちません。
その為には自分で常に試行錯誤し
確認し、自分の体を知ること
自分で思い込んでいたことと、外から見えることの違いを
埋めていくことがいります。
子供が先生に言われるままにレッスンするのとは違い
大人は人生の経験値があるはず。
踊りを知らなかったとしても、自分の知っている何かに置き換えることができるはずです。
うまく行かないと落ち込まずに。
自分のアイテムが一つしかない場合は組み合わせて考えることが出来なくても
経験するうちにアイテムは2つ3つと増えてきます。
100持っている人と同じでなくても
レパートリーが少なくても
日が立つごとに組み合わせて考えることが出来ていきます。