激励と叱咤の間
『天性のもの』がなければダメなの?
まだ小さくても
まさに「天性のもの!」
と言うようなものを垣間見せる子供や
初心者の方でも
動いたり、踊って見たりすると
初めてとは思えないような素敵な雰囲気を持っている方がいる。
「栴檀は双葉より芳し」
とも言われるくらいだから、誰が見ても気づかざるを得ないほど
突出したものが見える人もある。
「天性のもの」がなければ、どうしようもないんですかね?
と先日、舞台を見に来て下さった生徒さんが言われた。
「天性のもの」があるのは素晴らしい。
生まれながらにプラス要因を持っているのは羨ましいことだ。
しかし、それは要素である。
「玉磨かざれば光なし」
である。
「天性のもの」が特に見当たらない人が
どうすればよくなるか苦悩するのと同じく
要素の良しあしは置いて、そこから如何に育てていくかが肝心なのである。
「天性のもの」を持った者が見いだされ
それを気づかせてくれ、育ててくれる土壌があって磨かれる。
自分では気付かないまま、眠ってしまうものもある。
親からもらった「天性のもの」を自ら磨かなければ
いつまでも双葉のままであることも少なくない。
普通にしか育っていない他の双葉と比べて
自分が飛びぬけていることに慢心して、そのうち興味を失って
やめてしまう栴檀もある。
「天性のもの」を上手に育てるのは難しいのだ。
自らの努力は当たり前だが、磨き方を知らなければ
よい磨き方を知り、努力を続けたごく当たり前の双葉が見事に成長し
双葉の頃には深く内蔵されていた「感性」が大きくなり、時には
栴檀を超えてしまうこともある。
「感性」は磨かれて成長する。
先に出た方は、何度もいろんな舞台を見たり
音楽を聞いたりされているが、その度にものの見方も感想も変化している。
自ら足を運び、良いものも良くないものも見聞きし、感じることは
感性を磨いていく。
ものの受け取り方、感じ方、自らの内に入れていき整理する才が磨かれていく。
要素は恵まれているに越したことはないが
それを活かすのも殺すのも自分次第であり、環境次第である。
自分は変えられる。
自分が変われば、環境も少しずつ変化する。
ましてや、多くのものを経験していることは素晴らしい「要素」を
持っていることになる。
自ら育てた香りも2つとないものだ。