不器用はハンデではない
本当に求めていることだけが自分のものになる
「どれくらいレッスンに通えば、自分でコントロールできるようになりますか?」
そんなふうに聞く方もある。
正直答えられない。
人それぞれ、体も違えば、考え方も取り組み方も
環境もすべて違う。
それを全て一緒にして、これだけやればこんな結果が出るとは答えられない。
例えば生活すべてを管理して取り組むことが可能だとしても
その人の心の向き様を管理することはできない。
行動が制限されれば取り組みやすいように思えるが
どんな状況にあろうが、どんなふうに考えて
自分をどう処するかは、その人にしかできない。
とても遠いところから来られて、びっくりするほど変化して帰られる方もある。
しかし、これも分1人で時間が経過した時に同じようにできるかどうかは
保証できない。
自分の生活習慣から生じていることを変えて
感覚を自分のものにするのは、簡単なことではないからだ。
けれども遠いところから高い交通費、宿泊費を捻出してまで来られる人は
1つでも多く吸収しようとされる心意気が素晴らしいことは確かだ。
だから変化しやすい。
何十年レッスンして、少しずつ変化していくが
苦手なところはずっと変わらない人もある。
そこは自分にはできない 苦手 無理とはなから諦めているのだろう。
人は誰でも、やりやすい、できそうなことには意識が向くが
やりにくい、なかなかできそうにないことは
見ているが見ていない
聞いているが素通りする
心から欲しがらなければ、手には入らない。
そういう人がずっとできないままか?と言えばそうとも言えない。
出来るに至る100の、1000のアプローチを考えながら繰り出して
こちらも
「この人は心をこちらに向けていない」
と、諦めかけた1001個めのアプローチで
心がつながり、出来ることもある。
だから、諦めることができない。
全く体に意識を持たずに生活してきた人が
意識を持って体に目を向け出すと、それは劇的に変化する。
しかし、それは人の手を借りたものだ。
自分でそれが出来るようになるまで、時間をかけて
試行錯誤を繰り返し
少しずつ出来るようになる。
それまで「来れる時に」来ていた人が
定期的に来られるようになると、どんどん変化されていく。
レギュラーレッスン然り、WSの月1回でも
クオリティが変化していくのを目にしている。
これは求めておられるからだ。
自分の体をコントロールするのは
自分以外にはいない。
ひとつのことをみんなでやっても
それぞれにアドバイスすることもポイントも違う。
体に働きかけることも心に働きかけることも
ひとりひとり異なる。
みんなそれぞれ違うからだ。
身に付くのは心をとらえるものだけ。
無理矢理押さえつけても、ある程度は身に付くが
その人が自覚しないままであれば活かされることはない。
やらなければならない、ではなく
自分のことを面白く。
用意された苗床に入る分だけ取り入れるのでなく
欲しいものはどこから入ってくるかわからない。
自分の心を面白く、高揚させるのは
入り口を大きくしているということだ。
小さな苗床だけ見てるときには
そこ以外に入ってくる大事なものも
全部落としてしまう。
アンテナを高く立てて、全体を見られるようになった時には
かなりのことができるようになっている。
本当に欲しいものは自分でもよくわからないままでいる人が殆どだろう。
自分はこうしたかったんだ、は
近視眼で見ている時にはわからない。
心と体は連動している。
正しい問いは既に正しい答えになっている。